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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ガメラシリーズ > ガメラ対宇宙怪獣バイラス
ガメラ対宇宙怪獣バイラス
Gamera vs. Viras
監督湯浅憲明
脚本高橋二三
製作永田秀雅
『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(ガメラたいうちゅうかいじゅうバイラス)は、大映が製作・配給し、1968年(昭和43年)3月20日に封切り公開された日本の特撮映画作品。
昭和ガメラシリーズ第4作。大映東京撮影所作品。同時上映は『妖怪百物語』。72分、カラー、大映スコープ。 地球の植民地化を企むバイラス星人は、侵略のために宇宙船を送り込んだ。しかし、ガメラと遭遇した宇宙船1号は交戦の末、爆発してしまう。しかし間を置かずに現れた宇宙船2号は、地球侵略の最大の障害であるガメラの排除を目標にする。ロケに使われた「葉山海岸」 そのころ、茅ヶ崎市海岸では日米のボーイスカウトがキャンプを行っていた。いたずら好きのボーイスカウト・正夫とジムの2人は、小型潜水艇で潜行中に海底のガメラと遭遇する。「子供の味方」であるガメラと遊ぶうちに突然2人はガメラもろともオレンジ色の光のドームに包まれてしまう。バイラス星人の宇宙船が発射したスーパーキャッチ光線に捕えられてしまったのである。ガメラは光線の捕捉力に抵抗して2人の潜水艇を脱出させる。 しかし、その間にガメラの記憶を分析したバイラス人は、ガメラの最大の弱点が「子供」であることを知り、正夫とジムの2人を再び拉致する。2人を盾にされて手を出せないガメラに脳波コントロール装置がセットされ、バイラス人に操られたガメラは黒部ダムや東京を破壊し始める。人類は、バイラス星人に降伏するか、人質の子供たちを犠牲にして戦うか、という二者択一を迫られ、ついに国連は2人の生命を尊重してバイラス星人に降伏するという決定を下す。 そんな中、人質に取られた正夫とジムは、脳波コントロール装置とスーパーキャッチ光線の三角ブロック状のコイルをあべこべにつけ替えることでガメラを解放し、自分たちも脱出に成功する。自由をとり戻したガメラはバイラス星人の宇宙船への攻撃を開始する。ガメラの猛攻で爆発炎上する宇宙船。追い詰められたバイラス星人のボスは、分裂体を合体吸収して見るまに2倍、4倍、32倍と巨大になっていく。葉山海岸を舞台に、遂にガメラと宇宙怪獣バイラスの死闘が始まった。 「ガメラ映画」はアメリカでは、1作目の『大怪獣ガメラ』(1965年)が劇場公開された[注釈 1]以外、2作目、3作目は子供向け番組枠でテレビ放映された。4作目である本作品より、新作「ガメラ映画」はこのアメリカでのテレビ放映契約を織り込んだ制作体制となった。 ストーリーも、劇場よりも厳しいアメリカでのテレビ放送規制条件を満たすため、これに沿った、「ガメラが悪役新怪獣の侵略と闘う」という勧善懲悪テーマが強調された内容となっている。こういったこともあり、前作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』よりさらに進んで、本作品以降「ガメラシリーズ」は子供を主役に置いた、完全に子供向けの作風となった。脚本の高橋二三は、「『ガメラ対ギャオス』までは子供向けではなかった。『ガメラ対ギャオス』で子供を出してくれという要請はあったが、大人も楽しめる映画だった。ところが『ガメラ対バイラス』でひとつの方向性に偏ってしまった。ある意味では『お子様ランチ』になったことで客層を限定してしまったと言っていいでしょう」とコメントしている。 一方で監督の湯浅憲明は、「『バルゴン』で大人のドラマをやってみたが、劇場の子供たちは走り回って全く見ていない。『ギャオス』では子供がガメラに乗る場面は大歓声だった。子供が冒険し、怪獣が出ずっぱりの『バイラス』が、シリーズ当初から本来やりたかった形だ」と述懐しており、プロデューサーの永田秀雅 茅ヶ崎での戦闘シーンでバックにそびえる白いビルは、当時上原謙・加山雄三親子が経営していたパシフィックパークホテルである。
あらすじ
概要