ガボール・ザボ
基本情報
出生名Szabo Gabor
生誕1936年3月8日
出身地 ハンガリー王国 ブダペスト
死没 (1982-02-26) 1982年2月26日(45歳没)
ジャンルジャズ、ポップス、ロック、フュージョン
職業ギタリスト、作曲家
担当楽器ギター
活動期間1958年 - 1982年
レーベルインパルス!レコード
Skye
ブルー・サム・レコード
CTIレコード
マーキュリー・レコード
共同作業者チコ・ハミルトン、ゲイリー・マクファーランド(英語版)、レナ・ホーン、ボビー・ウーマック
ガボール・ザボ[1](Gabor Szabo、1936年3月8日 - 1982年2月26日)は、ハンガリーのジャズミュージシャン、ギタリスト。おもにアメリカ合衆国において音楽活動を行なった。 ハンガリー王国(ホルティ政権)時代のブダペスト生まれ。第二次世界大戦を経てハンガリー人民共和国の体制になった後、14歳でギターを始める。20歳の時にハンガリー動乱が起こり、アメリカ合衆国に渡る。1958年から1960年にかけてバークリー音楽院で学び、その後チコ・ハミルトン楽団で活動。 チコのバンドを脱退してからは、「インパルス!レコード」との契約を得て、バンド・リーダーとしても活動。1965年11月に録音されたリーダー・アルバム『Gypsy '66』では、当時バークリー音楽院に留学していた渡辺貞夫がフルートを担当[2]。1966年5月には、代表作の一つ『Spellbinder』を録音。同作収録曲「Gypsy Queen」は、後にサンタナのアルバム『天の守護神』で、フリートウッド・マックの楽曲「Black Magic Woman」とのメドレーという形でカヴァーされた。その後、インド音楽
来歴
ブルース・レーベルの「ブルー・サム・レコード」から発表されたアルバム『High Contrast』では、ソウル・ミュージシャンのボビー・ウーマックと共演。同作でボビーがガボールのために書き下ろした「Breezin'」は、後に1976年のジョージ・ベンソンによるカヴァー・ヴァージョンが大ヒットした[3]。1973年以降は、CTIレコードや、同社の傘下のレーベル「サルヴェイション」等で録音を行う。また、やはりCTIと契約していたポール・デスモンドのアルバム『Skylark』にゲスト参加[4]。
1970年代後半になると、しばしば祖国ハンガリーを訪れるようになる。1979年にチック・コリア等と共に行ったレコーディングが、アメリカでの最後の録音となり、その時の音源は後にアルバム『Femme Fatale』として発表される。1981年に再び帰国。翌年、肝臓と腎臓の障害により、ブダペストの病院で死去。
ディスコグラフィ
ジプシー'66 Gypsy '66 (1966年)
スペルバインダー Spellbinder (1966年)
シンパティコ Simpatico (1966年) - ゲイリー・マクファーランドとの連名。
Jazz Raga (1966年)