ガブリエレ・ミュンター
[Wikipedia|▼Menu]

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2015年11月)

ガブリエレ・ミュンター
Gabriele Munter
1900年に撮影
生誕 (1877-02-19) 1877年2月19日
ベルリン
死没1962年5月19日(1962-05-19)(85歳)
ムルナウ

ガブリエレ・ミュンター(Gabriele Munter, 1877年2月19日ベルリン ? 1962年5月19日ムルナウ(de))はおもにドイツで活躍した表現主義の女流芸術家で、ミュンヘン新芸術家協会及び青騎士のメンバー。絵画に加えて版画による創作活動もした。また、ヴァシリー・カンディンスキーのパートナーとしても知られる。彼女はカンディンスキーの作品のかなりの部分を第二次世界大戦中から戦後にかけて災難から守り、後には青騎士の芸術家仲間の作品と自分自身の作品とを広く一般に公開した。
目次

1 生涯

1.1 両親

1.2 幼少期から青年期(1877-1900)

1.3 画家修業と、カンディンスキーとの出会い(1901)

1.4 カンディンスキーとの恋愛(1902-1916)

1.4.1 恋愛と旅行(1902-1908)

1.4.2 ミュンヘン時代(1909-1915)


1.5 後半生(1917-1962)

1.5.1 失意 (1917-1921)

1.5.2 再出発 (1922-1927)

1.5.3 第三帝国の影で(1933-1945)

1.5.4 敗戦後(1945-1956)

1.5.5 レンバッハハウス(1957-1962)



2 芸術的特徴

2.1 初期(-1907)

2.2 ミュンヘン新芸術家協会と青騎士の時代(1907-1916)

2.3 カンディンスキーとの別離ののち(1917-)


3 作品抄録

4 評価

4.1 表現主義とミュンター

4.2 女流画家ミュンター

4.3 美術作品の庇護者


5 顕彰

6 放送劇

7 脚注

8 関連項目

8.1 芸術家

8.2 イズム・芸術運動

8.3 都市

8.4 その他


9 参考文献

生涯
両親 ドイツ3月革命(1848年)

ガブリエレの父カール・ミュンターはヴェストファーレンの商人で牧師の家庭出身であった[1]。しかし1848年革命に参加した彼は、その政治思想を危険視した家族の手でアメリカに追いやられた。彼はアメリカで歯科医師として生活を営み、10年たたないうちに裕福な身分となってドイツ人女性ヴィルヘルミーネ・ショイバーと結婚した。だが、自由を愛した夫妻は、南北戦争の嵐吹き荒れる政情不安の合衆国を去り、ベルリンのウンター・デン・リンデンにある大きな屋敷に移った[2]。(以下、本項で扱うガブリエレ・ミュンターを指してミュンターと記す)
幼少期から青年期(1877-1900)

ガブリエレ・ミュンターは1877年2月19日、3子の末っ子としてベルリンに生まれた[1]。一家は一年の後にヴェストファーレン地方のヘアフォルトへ、そしてその後コブレンツへと引っ越した。馬術スケートダンスサイクリングに熱中して過ごした子供時代の記憶はミュンターの心に色濃く残った[1][2]。また彼女は音楽を好み、楽譜を読み、聴き、演奏して楽しんだ。数曲の歌曲も作曲している[2]1886年、父が他界。学校時代からすでに芸術的才能を示していた彼女は、兄コンラートの勧めもあって1897年春にはデュッセルドルフにある女子芸術学校の門をたたいた[1]。当時は国立芸術院[3] への道は女性に閉ざされていたのである。彼女はしかし、自身の芸術的才能を開花させるためというよりむしろ絵画技法を身につける目的で絵の勉強を始めたのであった[2]。 同年11月には母も亡くなり、勉強を一時中断しなければならなかったが、学校に退屈していた彼女はむしろこの機会を前向きにとらえた。両親の残した金銭的遺産に依ることなく、翌1898年彼女は姉とともにアメリカに住む親類のもとを訪ねた。二年にわたるアメリカ旅行で彼女たちは、ミズーリアーカンソー、そしてテキサスを訪れた。ミュンターは旅の様子を、たくさんの印象深い写真で克明に記録している。また人物や風景、植物を数多くデッサンした。1900年10月、ミュンターはコブレンツに戻った[1]
画家修業と、カンディンスキーとの出会い(1901) ヴァシリー・カンディンスキー

1901年、ミュンターはミュンヘンへ移った。しかしこのとき、その地でも女性はまだ公の芸術院への入学を許されていなかった。それゆえミュンターは画家修業を女流芸術家協会の付属画学校初級教室でつづけ[1]、同年冬にヴィルヘルム・フュスゲンとヴァルデマル・ヘッカーによる小さな、しかし進歩的な芸術学校「ファランクス」に移った。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:77 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef