ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ
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カブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ
ルイ・カロジス・カルモンテルによるガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴの肖像 (1759)
誕生ガブリエル=シュザンヌ・バルボ
(1685-11-28) 1685年11月28日
フランス王国
パリ
死没 (1755-12-29) 1755年12月29日(70歳没)
フランス王国
パリ
言語フランス語
代表作『アメリカ娘と洋上ものがたり』(La jeune americaine, et les contes marins, 1740) 収録、『美女と野獣』
デビュー作『夫婦の鑑』(Le Phenix conjugal, 1734)
影響を受けたもの

ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン

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ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ(フランス語: Gabrielle-Suzanne Barbot de Villeneuve、旧姓バルボ、1685年11月28日 – 1755年12月29日[1])はフランス小説家である。ドーノワ夫人シャルル・ペロー、さまざまなプレシューズと呼ばれる作家に影響を受けて著述活動を行った[2]。1740年に刊行した『美女と野獣』(La Belle et la Bete) で有名であり、これは現存する最古の「美女と野獣」のおとぎ話の文字化である。
来歴

ガブリエル=シュザンヌ・バルボ(のちのガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ)は、1685年11月28日にジャン・バルボとシュザンヌ・アレールの娘としてパリで生まれた[3]。ガブリエル=シュザンヌはラ・ロシェルの有力なプロテスタント一族の出身であり、フランスの貴族であったアモス・バルボの子孫である[3]。別の親類であるジャン・バルボ (1655-1712) は西アフリカやカリブ海地域を探検し、奴隷船で周旋人として働いていたこともあった。ジャン・バルボはルイ14世が1685年にフォンテーヌブローの勅令によってナントの勅令を破棄した後、プロテスタント迫害から逃れるためイングランドに移住し、フランス語英語で旅行記を刊行した[4]。母シュザンヌはプロテスタントであったが、ガブリエル=シュザンヌはカトリック洗礼を受けている[3]

1706年4月26日にガブリエル=シュザンヌはバルボ家同様、法服貴族の一族の息子で歩兵隊中佐であったジャン=バティスト・ガアロン・ド・ヴィルヌーヴと結婚したが、夫は浪費家で結婚生活は全くうまくいかず、この年の10月29日にはガブリエル=シュザンヌは夫と自分の財産を法的に分離する手続きをとった[5]。財産分離後の1708年にガブリエル=シュザンヌは娘を出産した[5]。夫は1711年に亡くなり、ガブリエル=シュザンヌは寡婦となった[6]。金銭的に困窮したガブリエル=シュザンヌはパリに出て、1734年には最初の作品である『夫婦の鑑』(Le Phenix conjugal) を刊行した[7]。詩人・劇作家のプロスペル・ジョリヨ・ド・クレビヨンの家で家政婦として同棲するようになり、1755年に亡くなるまでここで暮らした[8]
著作
美女と野獣
あらすじ「美女と野獣#ヴィルヌーヴ版」を参照
刊行

ヴィルヌーヴは『美女と野獣』の物語の作者としてもっぱら有名であり、本作は1740年に刊行した『アメリカ娘と洋上ものがたり』(La jeune americaine, et les contes marins) の収録作で、このおとぎ話の類話として知られているものとしては最も古い[2]。『アメリカ娘と洋上ものがたり』は枠物語で、アメリカに移住したフランス貴族の娘が、一時滞在していたフランスから帰国する時に船の上で物語を聞くという設定になっている[9]。枠の中で語られる物語である『美女と野獣』は200ページ近い長さがある大人向けの物語で、この物語中にさらに「野獣の話」と「妖精の話」が入っている[9][10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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