ギヨーム・ジョゼフ・ガブリエル・ド・ラ・ランデル(Guillaume Joseph Gabriel de La Landelle 、1812年3月5日 - 1886年)は、フランスの海軍将校、ジャーナリスト、フランス文学者、海洋小説家。また、重航空機の先駆者の1人でもある。
生涯ド・ラ・ランデルの蒸気ヘリコプター予想図(1863年)
ブルトン人の夫婦の間に、モンペリエで生まれた。父はここの駐屯地に勤めていた。ド・ラ・ランデルはストラスブールの中等学校で教育を受け、16歳になると海軍に入隊した。その後11年間、ブラジル、ポルトガル、グアドループで軍務に就く。フリゲートの艦長にまで出世したのち、ジャーナリズムと文学に集中するため1839年に退役した。"Journal de la Flotte"(艦隊ジャーナル)、"L'Union catholique"(カトリック連合)、"Commerce"(商業)などのメディアで仕事をし、1848年革命(二月革命)後は"La Liberte"(自由)、 "L'Avenir national"(国家の未来)、"Le Pamphlet et Le Lampion"(風刺文と灯明)など反革命派の新聞で働いた。
1840年代以降、彼は海での経験を元に、長大な海洋小説のシリーズを刊行している。ジェイムズ・フェニモア・クーパーやフレデリック・マリアットの影響を受けた彼の作品は、友人のジュール・ヴェルヌにある程度の影響を与えた。一部はスペイン語に翻訳もされた。ド・ラ・ランデルの著作には、海の生活を歌った詩も含まれている。
1861年、ギュスターヴ・ポントン・ダメクールと共同で、蒸気機関を積んだヘリコプターの実用模型を試作する。その後、ナダールやポントン・ダメクールと共に「空気より重い航空機による空中航行を促進する会」を立ち上げた。航空史に関する著作を何点か出版し、ジャン=マリー・ルブリの初飛行について報道した。1863年に"Aviation, ou Navigation aerienne sans ballon"(航空、または気球を使わない空中航行)という著書を発表。記録上、aviation /アヴィアーション/(航空)というフランス語が使用されたのは、これが最初である(次にこの語を使ったのはクレマン・アデールで、1875年であった)[1]。また、後にヴェルヌが長編『征服者ロビュール』(1886年)で描いた空中船「あほうどり号」は、ド・ラ・ランデルが本書で構想した蒸気ヘリコプター(右図)と類似性があり、影響を指摘する資料[2]もある。
著作リスト.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。ド・ラ・ランデルの作品