この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2021年12月)
ガトリング砲
1865年型ガトリング砲
種類速射砲
原開発国 アメリカ合衆国
運用史
配備期間1862年-1911年
配備先オーストリア=ハンガリー帝国
イギリス帝国
カナダ
フランス
日本
ペルー
ロシア帝国
アメリカ
関連戦争・紛争南北戦争, 太平洋戦争, 米西戦争, 日露戦争,戊辰戦争
開発史
開発者リチャード・ジョーダン・ガトリング
諸元
重量77.2 kg (砲架、弾倉、弾薬を除く)
全長107.9cm
銃身長67.3cm
要員数4人
テンプレートを表示
ガトリング砲(ガトリングほう)、ガトリング銃(ガトリングじゅう)またはガトリングガンは、1861年にアメリカ合衆国の発明家リチャード・ジョーダン・ガトリングによって製品化された火器の一種。
複数の銃身を人力や外部動力(電気や油圧)で回転させながら給弾・装填・発射・排莢のサイクルを繰り返して連続的に発射する。
固有名詞としての「ガトリング砲」はガトリングが発明してアメリカで製造され、20世紀初頭まで使用された連射可能な銃砲を、広義には同時代に他国でそのレプリカとして製作された火器を指す。より広義にはそれと同様の連射構造を機関砲(機関銃)の総称として、「ガトリング砲(Gatling gun)」という呼称が用いられている。20世紀後半に現れた外部動力式のものは「rotary cannon
」、「rotary autocannon」とも呼ばれる。以降は機関銃(砲)の形式としての「ガトリング砲」についても記述する。この節には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。原始的な手銃の時代から、多数の銃身を並べて斉射するアイデアが存在し、ガトリング砲が登場した時期にもミトラィユーズ砲(日本では「蜂巣砲」と呼んだ[1])として知られる多砲身の「斉射砲」が存在していた。しかし、斉射砲は構造が複雑すぎて信頼性が低く、普及しなかった。
ガトリング砲が発明された当時のアメリカは、欧州に比して軍事的後進国だったため、依然として戦列歩兵式の歩兵運用が続いており、敵兵は密集した陣形を組んで向かってくる存在と認識されていた。こうした密集した敵兵に対しては、大砲から霰弾などの対人弾を浴びせる攻撃が昔から行われていた。そこで、ガトリングのアイデアは、銃身を環状に並べて回転させ、金属薬莢を使用する後装式の閉鎖機構と給弾機構をこれに組み合わせたものであり、それまでの斉射砲とは全く異なる構造の「連発砲」だった。
ガトリング砲には複数の砲身が環状に配置され、人力でクランクを回転させると、連続して給弾・装填・発射・排莢のサイクルが進行する構造であり、射撃は斉射ではなく連続して行われた。銃身を複数にしたことで、1本当たりの発射頻度は低くて済むため、後に開発された単砲身の機関砲・機関銃の欠点であった、過熱によって生じる様々な問題(ライフリングの急速な磨耗や弾頭周囲からのガス漏れによる作動不良など)が発生しにくい構造になっている。一方で、多砲身のため重く設置・操作には複数の兵士が必要で、小型砲並みのサイズとなり軽便さに欠けるという欠点があった。
初期のガトリング砲は、真鍮製の薬莢を用いる弾薬が普及していなかったため、紙に包んだ鉛玉を鉄製の薬莢に収めた専用弾薬と一緒に販売されていた。1862年型では、固定式弾倉に紙で包んだ鉛弾を内蔵する鉄製薬莢の実包をバラで投入する給弾方式であった。その後各種の金属薬莢式弾薬が普及し始めると、これを使用するタイプが製造されるようになり、1865年型からは口径0.58インチの真鍮製薬莢の実包をバネを用いずその自重で落とし給弾する箱型弾倉式に代わり、これ以外にも必要に応じて上部から実包を次々に継ぎ足す装弾クリップ式もあり、各国へ輸出されるようになった。
前装式小銃が主流だった南北戦争当時、ガトリング砲の持つ200発/分の連射速度は驚異的であり、1866年に軍によって採用される以前から、セールスエンジニアが戦場にガトリング砲を持ち込み、実際に敵兵(南軍)を撃って見せる実戦参加デモンストレーションが行われた。