この項目では、照明について説明しています。映画については「ガス燈 (映画)」を、携帯用ガス照明器具については「ランプ (照明器具)#ランタン」をご覧ください。
ガス灯ランプ部分の拡大姉小路通、京都市中京区
ガス灯(ガスとう)は、ガス燃料の燃焼による照明。 18世紀末、スコットランドのウィリアム・マードック(William Murdoch)がガスの燃焼を利用した照明を考案した[1]。初期のガス灯は、直接火口から火を点灯し、炎を直接明かりとして利用するものだったため、光量を上げる必要があり、火口を平たくしてガスの放出面積を広げ扇形の炎が出るようにしていた[1]。このタイプのガス灯は炎の形状から魚尾灯と呼ばれた。魚尾灯の明るさは約15ワット程度とされている[2]。 イングリッド・バーグマンの主演で知られる「ガス燈」は、舞台設定が1875年で魚尾型の時代であるが、現れるガス灯のほとんどはガスバーナーのような単管の裸火タイプである[3]。 白熱ガス灯は燭光を強めるためガスマントルを利用したガス灯である[2]。1886年(明治19年)、オーストリアの化学者のカール・ヴェルスバッハ(Carl Auer von Welsbach)が、麻や木綿などの網袋にトリウムやセリウムといった金属化合物を含浸させたガスマントルを発明した[1][2]。ガスマントルを炎に被せて高温にすることで、その熱輻射を使用して明るくするもので従来のガス灯の約5倍の明るさとなった[1][2]。 従来の裸火のガス灯と区別する為に白熱ガス灯という。現在見ることのできるガス灯の大半はこの白熱ガス灯である。 1792年、イギリス人技師のウィリアム・マードックが、自分の小屋で石炭から出るガスによる照明の実験に成功[1][2]。1797年にはイギリスのマンチェスターでガス灯が設置された[2]。1886年にはオーストリアの化学者のカール・ヴェルスバッハがガスマントルを用いた白熱ガス灯を発明した[1][2]。 産業革命後、工場の稼働率を上げるため夜間照明への期待が高まり、ガス灯が使用されたものの、作業用照明としては明るさが不足していた[4]。また、19世紀半ばには一般家庭の室内照明としてもガス灯は普及していたが、当時のガス灯は爆発の危険もあり室内の使用に適したものではなかった[5]。ガス灯を使用すると室内の壁が黒ずんだり、硫黄臭やアンモニア臭が発生することもあった[5]。また、ガス灯の使用は大量の酸素を必要としたため、室内の人にめまいや頭痛を引き起こすこともあった[5]。 そこで19世紀半ば以来、ガスではなく電気を利用したアーク灯や白熱電球などの電灯が開発された。白熱光による照明の開発には20人以上の発明家が取り組み[5]、1870年代末にイギリスのジョゼフ・スワンやアメリカのトーマス・エジソンによって白熱電球が生み出された[5]。 日本においても18世紀頃には、既に越後地方において「陰火」(いんか)として天然ガスの存在が知られており、ガスを灯火として用いた最古の記録としては、安政の大地震以前に盛岡藩の医師であった島立甫 1857年(安政4年)には鹿児島県鹿児島市の仙巌園において、既存の石灯籠にガスの管を繋ぎ、照明としてガスを燃焼させた。この装置の製作を命じたのは島津斉彬であり、藩内各地において同様の装置を設置する構想も立てていたが、翌年の急逝で構想は流れた。造幣局創業当時(1871年)のガス灯
種類
魚尾灯
白熱ガス灯
マントルのパッケージ
マントルを被せた状態
白熱するマントル
歴史
欧米
日本