この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: "ガスコーニュ"
ガスコーニュ(フランス語: Gascogne、ガスコーニュ語: Gasconha)は、フランス南西部の歴史的地方名で、フランス革命時に既に成立していた州の一つである。現在のオート=ピレネー県やジェール県、ランド県などが該当する。
アルマニャックの生産で知られ、その名の由来となったアルマニャック地方は、このガスコーニュの中央部一帯を指す。 地形図 ピレネー山脈に囲まれ、西は大西洋に面している。ランド県には広大な森林がある。主な川はアドゥール川とガロンヌ川である。 現在の行政地域としては、 の全域と、 の一部が含まれる。また、その地理的位置からスペイン北部地域とも関係が深い。地域語はオック語の一種であるガスコーニュ語である。 主な産業は漁業、畜産業、醸造業で、近年では観光業もさかんである。フォアグラやワイン、ブランデーの産地であり、特にアルマニャックは有名である。 紀元前56年、ガロンヌ川とピレネー山脈、大西洋に囲まれた地域に居住していたバスク語を話す人々の集落をローマ軍が征服、この地域をアクイタニアと呼んだ。紀元前27年にはガロンヌ川以北のケルト人集落も含めたローマ帝国の属州、ガリア・アクイタニアが成立した。なお、現在では、アクイタニアに由来する地名アキテーヌは、ガロンヌ川北部のアキテーヌに対して使われている。 297年、ディオクレティアヌス帝が属州の再分割を行なった際、バスク系およびケルト系双方の住民からの要望を受けてガリア・アクイタニアは3分割され、そのうちの一つがノベンポプラニアと呼ばれるようになる。ノベンポプラニアはヴァンダル族らゲルマン人の襲撃をたびたび受け、418年には西ゴート王国、507年にはフランク王国の支配下に入る。 6世紀、緩やかなフランク人の支配のもと、現在のスペイン、ナバラ州にあたる地域から西ゴート人の支配を避け、ヴァスコン人が移住してきた。彼らは現在のバスク人の祖先とされる人々である。ヴァスコン人は政治的空白に乗じて覇権を掌握し、これによってこの地域はヴァスコニアの名で知られるようになる。このヴァスコニアという地名がガスコーニュという地名の語源となった。ヴァスコニアの人々はバスク語の影響を強く受けた俗ラテン語で話したが、これはのちにこの地域の地方語であるガスコーニュ語の基礎となる。 602年、メロヴィング朝はガロンヌ川周辺に辺境伯をおいた。この地でフランク人、西ゴート人、バスク人の三者が対峙し、7世紀中頃まで戦いが散発的に繰り返されることになる。660年、フランク王国の中央からの影響が弱まったのを機に、ヴァスコニア辺境伯フェリックス・ダキテーヌは、事実上独立した権限を手にし、隣接するアキテーヌ辺境伯を兼任する。7世紀後半からフランク王国では宮宰が強い権力をもつようになるが、以降もヴァスコニアは中央とは距離をおき、独立した地位を維持しようと試みる。 アキテーヌ公を兼任していたウードは、ヴァスコニアの独立性を確固たるものとすべく、フランク王国の分国の一つ、ネウストリアの国王キルペリク2世やその宮宰のラガンフリドらと同盟し、フランク王国のもう一つの分国であるアウストラシア宮宰のカール・マルテルと敵対する。ところが、8世紀初頭、イスラム勢力がイベリア半島からヴァスコニアに進出、719年にはパンプローナがムーア人の支配下におかれ、721年にウード自身がトゥールーズでウマイヤ朝軍と戦闘することとなった。このトゥールーズの戦いでウードは勝利をおさめるが、732年のガロンヌ川の戦いでは逆に敗れてボルドーを奪われる。これに対し、同年、カール・マルテルはトゥール・ポワティエ間の戦いに勝利し、イスラム勢力のピレネー以北への進出を食い止めることに成功した。 このカール・マルテルの勝利にもかかわらず、ヴァスコニア辺境伯とフランク王国との戦いはその後も2世代にわたって続いた。741年、ウードの子、ウノー(ウナール、Hunaud ヴァスコニアとカロリング朝フランク王国との衝突の例が778年、ロンスヴォーの戦い(Battle of Roncevaux Pass
地理
オート=ピレネー県
ジェルス県
ランド県
アリエージュ県
オート=ガロンヌ県
ジロンド県
ロット県
ピレネー=アトランティック県
タルヌ=エ=ガロンヌ県
主な都市 バイヨンヌ ルルド
オーシュ
ダクス(Dax
タルブ
バイヨンヌ(Bayonne)
バニェール=ド=リュション(Bagneres-de-Luchon)
ポー
ボルドー
モン=ド=マルサン
ランゴン(Langon)
ルルド
歴史
アクイタニア
ノベンポプラニア
ヴァスコニア
9世紀になるとピレネー山脈の北部はフランク王国との関係を強め、これに対して南部は小国に分裂する。この時期、ピレネー以南ではアストゥリアス王国が台頭し、トゥデラ周辺ではバスク・ムスリムの国家、バヌ・カシ(Banu Qasi)、パンプローナにはパンプローナ王国が成立する。
戦乱が多かったガスコーニュ地方からは多くの若者たちが剣で身を立てようとパリを目指した。ガスコーニュはデュマの小説『三銃士』のダルタニャンのモデルとなった人物の出身地でもある。