公用語ガガウズ語、ルーマニア語、ロシア語
主都コムラト
最大の都市コムラト
政府
元首(英語版)エフゲニア・グシュル(英語版)
国民議会議長(英語版)ウラジーミル・キッサ(Vladimir Cissa)
面積
総計1,832km2(国内2位)
水面積率不明
人口
総計(2016年)161,900人(国内3位)
人口密度88.4人/km2
設置
モルドバ内の自治区として1995年6月19日
通貨モルドバ・レウ(MDL)
時間帯UTC+2 (DST:+3)
ISO 3166-1MD / MDA(3166-2:MD-GA)
ccTLD.md
国際電話番号373
民族構成(2004年)
ガガウズ人 82%
ブルガリア人 5.1%
モルドバ人 4.8%
ロシア人 3.8%
その他 4%
ガガウズ人の旗。またかつての独立期前半の国旗でもあった
ガガウズ自治区(ガガウズ語: Gagauz Yeri ガガウズ・イェリ、ルーマニア語: G?g?uzia ガガウジア、ロシア語: Гагаyзия, Gagauziya)は、モルドバの南部にある自治地域である。
正教会に属するテュルク系のガガウズ人が住み、ガガウズ語の使用などが認められている。首都はコムラト。人口は161,900人(2016年推計[1])。 自治区の公用語での正式名称は以下の通り。 日本語訳例はガガウズ自治区。ガガウズ語名であるガガウズ・イェリと呼ぶ場合もある。また国号を自治共和国と訳す場合もある(ガガウズ・イェリ自治共和国など)。ルーマニア語などの通称であるガガウジアと呼ぶ場合もあるが[2]、あまり一般的ではない。 ガガウズ・イェリはガガウズ語で「ガガウズ人の場所」という意味。 コムラト共和国 ガガウズ共和国(1990年 - 1995年) 現在のガガウズ自治区に当たる地域はモルドバと同じ歴史を歩んでいる。中世よりモルダヴィア公国、オスマン帝国、ロシア帝国、ルーマニア王国、ソビエト連邦と支配国家が移っている。 1900年代前半、当時の支配国家であったロシア帝国で革命(ロシア第一革命)が起こる。帝国全土で反政府運動と暴動が起き、コムラトでは1906年1月にAndrey Pavlovich Galatsaによる蜂起が発生した。1月18日にはコムラト共和国
名称
ガガウズ語: Avtonom Territorial Bolumluu Gagauz Yeri
ルーマニア語: Unitatea Teritorial? Autonom? G?g?uzia
ロシア語: Автономное территориальное образование Гагаузия(Avtonomnoye territorialnoye obrazovaniye Gagauziya)
(参考)英語: Autonomous Territorial Unit of Gagauzia (Gagauz Yeri)
ガガウジア(Gagauzia)とガガウズ・イェリ(Gagauz-Yeri)は対等な名称であることが基本法一条にあり、そのことから他言語ではGagauzia (Gagauz-Yeri)と併記する例もある。
歴史的な名称
ガガウズ語: Komrat Respublikas?
ルーマニア語: Republica de la Comrat
ロシア語: Комратская республика
(参考)英語: Komrat republic
ガガウズ語: Gagauz Respublikas?
ルーマニア語: Republica G?g?uzia
ロシア語: Республика Гагаузия(Gagauzskaya Respublika)
(参考)英語: Gagauz Republic
略史「モルドバ#歴史」も参照
その後の第二革命でロシア帝国は崩壊し、モルダヴィア地方の統治国はルーマニア王国に取って代わられた。第二次世界大戦が発生するとソビエト連邦が占領し、1940年にこの地一体に連邦構成体のひとつモルダビア・ソビエト社会主義共和国(モルダビアSSR)が設置された。ソビエト連邦時代ではガガウズ人の民族自治区画は設置されなかったため、1980年代後半よりペレストロイカが始まると民族意識が高揚した。