ガエル・モンフィス
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ガエル・モンフィス
Gael Monfils


2023年シティ・オープンでのガエル・モンフィス
基本情報
フルネームGael Sebastien Monfils
愛称ラモンフ(Lamonf)
国籍 フランス
出身地同・パリ
生年月日 (1986-09-01) 1986年9月1日(37歳)
身長193cm
体重85kg
利き手右
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年2004年
ツアー通算12勝
シングルス12勝
ダブルス0勝
生涯獲得賞金21,701,320 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト8(2016・22)
全仏ベスト4(2008)
全英4回戦(2018)
全米ベスト4(2016)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪1回戦(2006・14)
全仏2回戦(2007・10)
全米1回戦(2005・10・11)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪2回戦(2006)
全仏2回戦(2008)
国別対抗戦最高成績
デビス杯準優勝(2010・14)
ATP杯ラウンドロビン(2020・21)
キャリア自己最高ランキング
シングルス6位(2016年11月7日)
ダブルス155位(2011年8月8日)
2024年4月23日現在■テンプレート  ■プロジェクト テニス

ガエル・セバスティアン・モンフィス(Gael Sebastien Monfils, フランス語発音:  ⇒[?a?l m???fis] ,1986年9月1日 - )はフランスパリ出身の男子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは6位。ダブルス155位。これまでにATPシングルスで12勝を挙げている。身長193cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

配偶者はウクライナのテニス選手のエリナ・スビトリナ
選手経歴
ジュニア時代

1986年9月1日にフランスパリで生まれる。父親がグアドループ島出身の元プロサッカー選手で、現在はフランスの携帯電話会社に勤めている。母親はマルティニーク島出身の看護師であり、そのためモンフィスは西インド諸島のルーツを持つ。

趣味はブレイクダンスで、バスケットボールも得意である。「もしテニス選手にならなかったら、バスケットボールをしていただろう」と述べていたが、テニスの道を歩むことを決めた。2002年にはジュニアのトーナメントを巡り、ジュニア世界ランキングで4位。
2004年 プロ転向

2004年4大大会のジュニア男子シングルスで、全豪オープン全仏オープンウィンブルドンの3連勝を成し遂げ、ジュニア世界ランキングで1位の座を獲得した。同年にプロ入り。

大会200220032004
ジュニアグランドスラム
全豪オープンAQFW
全仏オープン1R2RW
ウィンブルドンA2RW
全米オープンA2R3R

2005年 最優秀賞新人賞

8月にオレンジ・ワルシャワ・オープンの決勝でフロリアン・マイヤーを7-6, 4-6, 7-5で破り、男子ツアー初優勝を達成。その後、10月のモゼール・オープンの決勝でイワン・リュビチッチに敗れた準優勝がある。この躍進を評価されて、モンフィスは男子プロテニス協会の2005年度「最優秀新人賞」を受賞した。
2006年 トップ25入り

2006年全仏オープンで、モンフィスは初めて4回戦に進出した。この大会では、3回戦で第8シードのジェームズ・ブレークを6-2, 6-7, 7-6, 5-7, 6-4のフルセットで破ったが、続く4回戦でノバク・ジョコビッチに6-7, 6-7, 3-6のストレートで敗れた。
2007年 ツアー通算50勝

2007年全豪オープンでは、モンフィスは2回戦で前年度の準優勝者マルコス・バグダティスを7-6, 6-2, 2-6, 6-0で破って注目を集めたが、続く3回戦で同じ年のフランス人選手、リシャール・ガスケに敗れた。
2008年 全仏ベスト4

2008年全仏オープンで初めてのベスト4に入り、自らの4大大会自己最高成績を更新した。初進出の準決勝で、モンフィスは第1シードのロジャー・フェデラーに2-6, 7-5, 3-6, 5-7で敗れた。第30シードに選ばれたウィンブルドンで、モンフィスは肩の負傷により大会開始直前に棄権した。

この後、北京五輪にフランス代表選手として初参加し、シングルスのベスト8に進出した。全米オープンでは初の4回戦進出を決めたが、地元アメリカ人選手のマーディ・フィッシュに5-7, 2-6, 2-6でストレート負けした。
2009年 トップ10入り

全豪オープンで、モンフィスは同じフランスのジル・シモンとの4回戦を途中棄権した。この後ツアー大会で成績を伸ばしたことにより、2009年3月2日付の世界ランキングで「9位」に入り、初の世界ランキングトップ10入りを果たした。この後全米オープンで2年連続の4回戦進出がある。地元のモゼール・オープンフィリップ・コールシュライバーを7?6, 3?6, 6?2で破りツアー2勝目を挙げた。
2010年 全米ベスト8

全米オープンでベスト8に進出した。ジャパン・オープン・テニス選手権など3大会で準優勝し、南フランス・オープンイワン・リュビチッチを6-2, 5-7, 6-1で破り、ツアー3勝目を挙げた。12月のセルビアとのデビスカップ決勝戦にも出場し、第2試合でヤンコ・ティプサレビッチに6-1, 7-6, 6-0で勝利したが、第4試合のジョコビッチに2-6, 2-6, 4-6で敗れ、通算2勝3敗でフランスは優勝を逃した。
2011年 ツアー4勝目

全仏オープン4回戦でダビド・フェレールを6?4, 2?6, 7?5, 1?6, 8?6で破り2年ぶりのベスト8に進出した。準々決勝ではフェデラーに4-6, 3-6, 6-7で敗れた。7月には自己最高位の世界ランキング7位を記録した。10月のストックホルム・オープンの決勝でヤルコ・ニエミネンを7?5, 3?6, 6?2で破り1年ぶりのツアー4勝目を挙げた。
2012年 トップ10陥落


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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