ガエターノ・マルティーノ
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イタリア政治家ガエターノ・マルティーノGaetano Martino

生年月日1900年11月25日
出生地 イタリア王国メッシーナ
没年月日 (1967-07-21) 1967年7月21日(66歳没)
死没地 イタリアローマ
外相
内閣マリオ・シェルバ
在任期間1954年9月19日 - 1957年5月6日
国王レオポルド3世
欧州議会議長
在任期間1962年 - 1964年
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ガエターノ・マルティーノ(Gaetano Martino, 1900年11月25日 - 1967年7月21日)は、イタリアの自由党に所属していた政治家。メッシーナ大学において教鞭をとっていたこともある。

マルティーノは1954年、マリオ・シェルバ政権において教育相として入閣し、その後まもなく外相に任命された。マルティーノは1957年まで、次のアントニオ・セーニ政権においても外相を務めた。外相としてマルティーノは1955年のメッシーナ会議を取り仕切り、この会議において2年後に署名される欧州経済共同体設立条約の土台が築かれた。1956年、マルティーノはイタリアの外相として初めて国際連合総会で演説を行った。

1960年から1961年にかけてマルティーノは、ニューヨークでの国際連合総会に送られたイタリア議員代表団の団長を、1962年から1964年にかけては欧州議会議長を務めた。なお1994年から1995年にかけてイタリアの外相を務めたアントニオ・マルティーノは息子である。

先代:
アッティリオ・ピッチオーニイタリアの外相
1954年9月19日 - 1957年5月6日次代:
ジュゼッペ・ペッラ
先代:
ハンス・フルラー欧州議会議長
1962年 - 1964年次代:
ジャン・デュヴュザー










欧州議会議長
共同総会 (1952–1958)ポール=アンリ・スパーク - アルチーデ・デ・ガスペリ - ジュゼッペ・ペッラハンス・フルラー
議員総会 (1958–1962)ロベール・シューマン - ハンス・フルラー
欧州議会(任命制) (1962–1979)ガエターノ・マルティーノ - ジャン・デュヴュザー - ヴィクトル・レーマンス - アラン・ポエール - マリオ・シェルバ - ヴァルター・ベーレント - コルネリス・ベルクハウアー - ジョルジュ・スペナール - エミリオ・コロンボ
欧州議会(直接選挙制) (1979–)シモーヌ・ヴェイユ - ピート・ダンケルト - ピエール・フリムラン - ヘンリー・プラム - エンリケ・バロン - エゴン・クレプシュ - クラウス・ヘンシュ - ホセ・マリア・ヒル=ロブレス - ニコル・フォンテーヌ - パット・コックス - ジョセップ・ボレル - ハンス=ゲルト・ペテリング - イェジ・ブゼク - マルティン・シュルツ - アントニオ・タイヤーニ
欧州委員会委員長欧州理事会議長欧州連合理事会議長国欧州議会議長

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GND: 11950538X

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ICCU: ⇒IT\ICCU\RAVV\076877

SELIBR: 230654

SUDOC: 035625287

VIAF: 64819049



更新日時:2016年9月11日(日)14:27
取得日時:2019/02/03 06:06


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