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ガウチョガウチョアルンゼンチンにおけるガウチョ(1890年頃)。マテ茶を飲みギターを弾く
ガウチョ、ガウーショ(西: Gaucho、伯: Gaucho)は、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部のパンパ(草原地帯)やアンデス山脈東部に17世紀から19世紀にかけて居住し、主として牧畜に従事していたスペイン人と先住民その他との混血住民である。多くの場合、その伝統的な装い、マテ茶(ブラジルではシマハンと呼ばれる)、生活に根差した牧畜文化に象徴される。ウルグアイではガウーチョ、ブラジルではガウーショという発音がより近くなる。 ガウチョはグアラニー語の「孤児」や「放浪者」を指した言葉が語源とされるが、マプーチェ族の言葉で「友達」(ガチュ)を表していたという説や、南ブラジルの方言で「牛殺し」(ガウデリオ)を表していたとも言われている。 ガウチョも元々はペルー方面からラ・プラタ地方の開拓にやってきたスペイン人の農業移民だったようだが、インディオとの抗争の中で次第に農業を忘れ、19世紀の後半にラ・プラタ地域全体で1,500万頭?2,000万頭いたとされる程大繁殖した野生の牛や馬を追って生計を立てるようになっていた。このようにしてラ・プラタで生まれたガウチョは1680年のコロニア・デル・サクラメント建設から始まったバンダ・オリエンタルを巡るスペイン、ポルトガルとの抗争の中で次第に南ブラジルにも伝播し、現在のリオ・グランデ・ド・スル州を中心とする範囲ではポルトガル語でガウーショと呼ばれるようになった。 さながらアメリカ合衆国のカウボーイと似ているともいえる。スペイン人と先住民、その他との混血が多くなっていった。ブエノスアイレスやモンテビデオの商人に輸出用の牛や馬の皮革や肉を卸していた。都市の知識人の印象は悪く、今ではアルゼンチン人・ウルグアイ人のアイデンティティとなっている言葉も、17世紀から18世紀にかけてはむしろ下層階級の浮浪者などの人間をネガティブに指したものだった。こうした存在には黒人(アフリカ系アルゼンチン人、アフリカ系ウルグアイ人)なども含まれていたという。 19世紀に入るとガウチョは各地のカウディージョに率いられて1806年、1807年にブエノスアイレスに攻めてきたイギリス軍を破り(イギリスのラプラタ侵略
語源と成り立ち
歴史