ガイズ&ドールズ
Guys & Dolls
作曲フランク・レッサー
作詞フランク・レッサー
脚本ジョー・スワーリング
『ガイズ&ドールズ』 (Guys & Dolls) は、フランク・レッサー作詞作曲、ジョー・スワーリング(英語版)およびエイブ・バロウズ(英語版)脚本によるミュージカル。デイモン・ラニアンの2つの短編『The Idyll of Miss Sarah Brown』(1933年)および『Blood Pressure』を原作としている[1][2]。またラニアンの『Pick the Winner』など他の作品からも登場人物や筋書を取り入れている[3]。1950年、ブロードウェイで初演後1,200回上演され、トニー賞 ミュージカル作品賞を受賞した。ブロードウェイやロンドンで再演を重ねている他、1955年にはマーロン・ブランド、ジーン・シモンズ、フランク・シナトラ、ヴィヴィアン・ブレイン(英語版)が出演する映画版『野郎どもと女たち』が製作された。
1951年、ピューリッツァー賞 戯曲部門に一旦選ばれたが、脚本家のエイブ・バロウズが下院非米活動委員会(HUAC)により共産党シンパと明かされコロンビア大学理事会が投票拒否したため、同年のピューリッツァー賞戯曲部門は該当作なしとなった[4]。
1998年、ヴィヴィアン・ブレイン、サム・レヴェン(英語版)、ロバート・アルダ(英語版)、イザベル・ビグリー(英語版)を含む、1950年のデッカ・レコードによるオリジナル・ブロードウェイ・キャスト・アルバムの参加者が没後にグラミー賞殿堂に殿堂入りした[5]。
ブロードウェイでも、最も陽気なミュージカル・コメディの一つとして、評価の高い作品であり、ミュージカルファンなら誰もが知るとまで言われている[6]。 1950年、ブロードウェイで作曲:フランク・レッサー、演出:ジョージ・S・カウフマン、振り付け:マイケル・キッドらにより初演され、上演回数1200回、4年のロングラン公演となった。 トニー賞では、ミュージカル作品賞をはじめ、演出賞、作詞・作曲賞、台本賞(ジョー・スワーリング/エイブ・バローズ)、振付賞、主演男優賞(ロバート・アルダ)などを受賞。このあとブロードウェイでは、1976年にオール黒人キャスト版が、また1992年4月から1995年1月まで1143回のロングラン公演が行われている。 初演での主役の中心軸は、スカイ・マスターソンとサラ・ブラウンだが、1992年4月から1995年1月までの公演では、主役の中心軸を、ややネイサン・デトロイドとアデレイドに移した作りになっている。また、1992年4月から1995年1月までの公演ではトニー賞で、ベスト・リバイバル賞をはじめ、演出賞(ジュリー・サックス)、舞台美術賞(トニー・ウォルトン)、主演女優賞(アデレイド役のフェイス・プリンス)などを受賞している。 また、この公演は、テレビ朝日の開局35周年記念公演として、1993年9月から10月まで日生劇場において、来日公演が行われた。この時、アデレイド役として、ローナ・ラフト
概要
舞台版
日本では、宝塚歌劇団で1984年11月から12月に宝塚歌劇70周年の記念公演として上演した。当時、絶大な人気を誇っていた大地真央が熱心に働きかけ、その当たり役として知られる。宝塚においては、2002年に月組(主演:紫吹淳)、2015年に星組(主演:北翔海莉)によりそれぞれ再演された。なお、アデレイド役は初演で元男役の条はるきが演じ、以降、男役が演じることが多い役となっている。詳細は「ガイズ&ドールズ (宝塚歌劇)」を参照
1993年5月に日生劇場開場30周年記念として東宝版が(タイトルは「ガイズ&ドールズ」ではなく「ガイズ・アンド・ドールズ」)、2010年4月、内博貴主演で上演。同年8月に名古屋で再演された。 映画版は1955年に、スカイ=マーロン・ブランド、サラ=ジーン・シモンズで上映され、日本では翌1956年に、『野郎どもと女たち』と言う題で上映されている。この映画版では、ニューヨークの話ながら、ニューヨーク・ロケは行われず、スタジオにニューヨークのセットを作って撮影された。また、一部ミュージカルナンバーも異なっている。「野郎どもと女たち」も参照 本作はプロデューサーのサイ・フュアとアーネスト・マーティンによりデイモン・ラニアンの短編の派生作品として着想された[7]。1920年代から1930年代に執筆されたこれらの短編はギャングやギャンブラーなどニューヨークの裏社会のキャラクターが登場する。ラニアンは作品中において非常に改まった言葉とスラングをミックスした独特な文体で知られていた[8]。キャリアのほとんどをミュージカル映画の作詞家として過ごしたフランク・レッサーが作詞作曲家として採用された。ジョージ・S・カーフマンが演出家として採用された。ジョー・スワーリングによる脚本の第一稿の出来が良くなく、フュアとマーティンはラジオ・コメディ作家のエイブ・バロウズに改訂を依頼した[7][9]。 レッサーは第一稿に合わせた楽曲の多くをすでに作曲していた[8]。のちにバロウズは「レッサーが作曲した14曲は全て素晴らしく、改訂版はそれらの曲を繋げるものにしなければならなかった。通常は作曲家が物語に合わせて作曲するが、我々はその逆をやった」と語った[10]。 バロウズが執筆を開始する大分前から出演が決まっていたサム・レヴェン演じるネイサン・デトロイト役を中心に具体的に構築していった[11]。『“Honest, Abe: Is There Really No Business Like Show Business?”』の中で、バーロウは「脳内で彼らの声が聴こえていた。彼らの話し声のリズムを知っており、台詞を形成し、リアルにするのに役立った」と語った。ブロードウェイおよび映画のベテラン俳優のレヴェンは歌手でなかったが、ラニアンのお気に入りの俳優の1人であり、レッサーはレヴェンがネイサン役に非常によく合うと感じていた。レッサーは演技の下手な歌手に合わせるより、レヴェンの技量に合わせて作曲し直す方が簡単と考えた[12]。主役のネイサンが歌唱するのはデュエット曲「"Sue Me"」の1曲のみなのはネイサンの歌唱力に合わせたためである。 レッサーはレヴェンのために特別に「"Sue Me"」を作曲し、アデレイド役のヴィヴィアン・ブレインと同時でなく交互に歌う様式に構成した。父親がカンターのレヴェンは流暢なイディッシュ語を話せた。レッサーは「ネイサン役は洗練というより無骨な感じのタフガイとして演じられるべきで、レヴェンは歌唱力に関わらず「Sue Me」でラニアンの世界観を大変よく表現していた」と語った[13]。フォーダム大学音楽教授で『Showtime: A History of the Broadway Musical Theater』の作家のラリー・ステンペルは「音楽的にはレヴェンは音痴かもしれないが、描かれるより適格なキャラクターとしてレッサーの音楽の中に存在していた」と語った[14]。 レッサーはヴィヴィアン・ブレインには保守的なサラ役は似合わないと考え、アデレイド役のキャラクターを作り出した[15]。 レッサーが第2幕でいくつかの楽曲のリプライズを提案した時、演出のカーフマンは「もし楽曲を繰り返すならジョークも繰り返す」と警告した[16]。
映画版
背景