カール5世_(神聖ローマ皇帝)
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カール5世 / カルロス1世
Karl V / Carlos I
神聖ローマ皇帝
スペイン国王
カール5世
在位1516年 - 1556年(スペイン国王)
1519年 - 1556年(神聖ローマ皇帝)
戴冠式1520年10月23日(ローマ王)[注 1]
1530年2月22日(イタリア王)
1530年2月24日(神聖ローマ皇帝)[注 2]
別号カスティーリャ国王
レオン国王
アラゴン国王
マヨルカ国王
バレンシア国王
シチリア国王
サルデーニャ国王
ローマ王
イタリア王
オーストリア大公
ケルンテン公
クライン公
シュタイアーマルク公
ブルゴーニュ公
ブラバント公
リンブルフ公
ルクセンブルク公
ゲルデルン公
カタルーニャ公
バルセロナ伯
チロル伯
ブルゴーニュ伯
ナミュール辺境伯
フランドル伯
エノー伯
ホラント伯
ゼーラント伯
ズトフェン伯
アルトワ伯
シャロレー伯
サルダーニャ伯
ルシヨン伯
ジローナ伯
ウゾーナ伯
ベルガ伯
バザルー伯

出生1500年2月24日
神聖ローマ帝国
フランドル伯領 ガン
死去1558年9月21日
スペイン帝国
ユステ修道院
埋葬 スペイン帝国
エル・エスコリアル
エル・エスコリアル修道院
配偶者イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン
子女フェリペ2世
マリア
フェルナンド
フアナ
フアン
マルガリータ
フアン(異説あり)
家名ハプスブルク家
王朝ハプスブルク朝
父親フィリップ美公
母親カスティーリャ女王フアナ
サイン
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カール5世(ドイツ語:Karl V / スペイン語:Carlos I,1500年2月24日 - 1558年9月21日)は、神聖ローマ皇帝(在位:1519年 - 1556年)にしてスペイン国王カルロス1世(在位:1516年 - 1556年)[注 3]。先代皇帝マクシミリアン1世の長男フィリップとスペイン女王フアナの嫡子で母語はフランス語。ルドルフ1世の雲孫、アルブレヒト1世の仍孫であり、フェリペ3世は孫であり曾孫であり、フェリペ4世は曾孫であり玄孫であり、神聖ローマ皇帝レオポルト1世とルイ14世は玄孫であり来孫であり、カルロス2世は玄孫であり来孫であり昆孫であり、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世と神聖ローマ皇帝カール6世とグラン・ドーファンは来孫であり昆孫であり、マリア・テレジアとブルゴーニュ公ルイとフェリペ5世とは昆孫であり仍孫であり、マリー・アントワネットとルイ15世とルイス1世とフェルナンド6世とカルロス3世は仍孫であり雲孫であり、最後の神聖ローマ皇帝フランツ2世とスペイン王カルロス4世は雲孫である。敬虔なカトリック教徒であり、ドイツ諸侯連合と化していた現実の帝国とは異なる中世的・普遍的なキリスト教帝国の理念を信じた。フランス王国と戦ってイタリアでの覇権を勝ち取り、1530年2月22日 ボローニャイタリア王カルロ5世として戴冠。2日後にはローマ教皇から戴冠された最後の神聖ローマ皇帝カール5世となった(1530年2月24日)。しかし、その間に帝国ではマルティン・ルターによる宗教改革が発生し、アウクスブルクの和議による妥協に追い込まれた。ヨーロッパ各地を転戦した無理が祟って晩年は体調を崩し、嫡子フェリペスペイン王国を、弟フェルディナント神聖ローマ帝国を譲り退位した。
血筋

ブルゴーニュ公フィリップ4世カスティーリャ女王フアナの間に生まれた。母方の祖父母は結婚によってスペイン王国を誕生させ、のちにグラナダ王国を制圧しイベリア半島からイスラーム勢力を駆逐した「カトリック両王」ことアラゴン国王フェルナンド2世およびカスティーリャ女王・イサベル1世であった。さらに父方の祖父母は神聖ローマ皇帝であるマクシミリアン1世と、かつてヴァロワ朝フランス王国とすら互角に渡り合った大国ブルゴーニュ公国の女公マリーという、当時のヨーロッパ王族のサラブレッドともいうべき血筋の生まれであった。

カール5世の統治領域の中心はスペインであり母・フアナもスペイン出身であったが、カール5世本人は自分の生まれ故郷のネーデルラントフランドルに愛着を持っており、言語の問題から当初は馴染めなかった[1]。現代スペインに続く金羊毛騎士団の継承・増員に見られるように、曾祖父・シャルルブルゴーニュ公国の継承者という自覚も強かった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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