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出典検索?: "カール=マルクス=シュタット県"
基本情報
県都:カール=マルクス=シュタット
面積:6009km2
人口:2,098,600人 (1961年)
1,889,000人 (1984年)
県の識別記号:T, X
地図
カール=マルクス=シュタット県(Bezirk Karl-Marx-Stadt)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)を構成していた14の県の一つ。県都はカール=マルクス=シュタット(現ケムニッツ)。1952年に設置された当初はケムニッツ県(Bezirk Chemnitz)と呼ばれていたが、翌1953年にケムニッツがカール=マルクス=シュタットに改名されたのに伴い県名も変更された。
東ドイツにおいて最も人口が多く、かつ人口密度が高い県であった。 東ドイツの最南部に位置する県であった。西から時計回りにゲーラ県
地理
またカール=マルクス=シュタット県は東ドイツで最も標高が高い地域であった。東ドイツの最高峰であったフィヒテル山(標高1214.6 m)や、ドイツで最も高所にある街オーバーヴィーゼンタール(標高914 m)はいずれもエルツ山地のドイツ側、カール=マルクス=シュタット県内にある。 1952年、ドイツ社会主義統一党による事実上の一党独裁下において、計画経済を推進するためそれまでの州は廃止され、東ベルリンを除く全土を14の県に分割して統治が行われた。このとき旧ザクセン州は3県に分割されたが、その南西部に置かれたのがケムニッツ県であった。1953年5月10日にケムニッツがカール=マルクス=シュタットと改名されると、県名も同時にカール=マルクス=シュタット県と改められた。 1990年にベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一されると、旧東ドイツの県は連邦制をとるドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の政治体制に沿うよう再編された。カール=マルクス=シュタット県は解体され、再びザクセン州の一部となり、ほぼ同じ領域にケムニッツ行政管区(Regierungsbezirk Chemnitz,「県」とも訳される)が新たに設けられたが、これは単なる行政上の地域区分であり、東ドイツ時代のような地方自治体としての権能は有していない。2012年にはこの行政管区も廃止された。なお、カール=マルクス=シュタットは1990年4月23日に行なわれた住民投票により、市名がケムニッツに戻された。
歴史
脚注[脚注の使い方]
表
話
編
歴
東ドイツの県・州(1949年 - 1990年)
州(1949年 - 1952年)
東ベルリン(首都)
ブランデンブルク州
メクレンブルク州
ザクセン州
ザクセン=アンハルト州
テューリンゲン州
県(1952年 - 1990年)
東ベルリン(首都)
エアフルト
カール=マルクス=シュタット
ゲーラ
コトブス
シュヴェリーン
ズール
ドレスデン
ノイブランデンブルク