カール大帝賞
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アーヘン市庁舎カール大帝賞を授与されたビル・クリントン(前列左、2000年)
右はアーヘン市長ユルゲン・リンデン。両者の後に過去の受賞者が並ぶ。

カール大帝賞(カールたいていしょう、: Karlspreis)は、1950年からドイツアーヘン市ヨーロッパ統合の理念に適う功績を挙げた人物に授賞している賞。1988年以後、正式名称はアーヘン国際カール大帝賞(: Internationaler Karlspreis zu Aachen)となった。賞の名称はフランク王国の国王であるカール大帝が、アーヘンの地に住み、また埋葬されていることにちなんでいる。授賞式はアーヘン市庁舎において、昇天祭の祝日に行われている。

1949年12月19日、クルト・プファイファーは自身が設立した読書会 Corona Legentium Aquensis において次のように述べて、賞の創設を提唱している。

(仮訳)われわれは、西欧の理解と地域の同一性に寄与し、また人類と世界平和において最も価値のある功績に対して国際的な賞を贈ることにさせていただきます。その功績とは、文学、科学、経済、政治における業績を対象とします。

賞の主催者であるアーヘン市はカール大帝について、「西洋文化の創造者」とし、カール大帝の治世においてアーヘンは現在の西ヨーロッパを形成するにいたるものの、精神的、政治的な中心であったとしている。

カール大帝賞の最初の受賞者は、国際汎ヨーロッパ連合の創始者であるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーであった。

1952年にイタリア首相アルチデ・デ・ガスペリが受賞してからは、カール大帝賞はドイツ国内にとどまらず、欧州統合を促すメッセージを発信するようになった。

アーヘン市では、歴代のカール大帝賞受賞者を並べると、時代ごとのヨーロッパの統合プロセスの歴史を物語っているとしており、また、デ・ガスペリ、ジャン・モネコンラート・アデナウアーのようなヨーロッパ統合の父や、エドワード・ヒースコンスタンディノス・カラマンリスフアン・カルロス1世のような統合を体現した人物に贈るとしている。

またアーヘン市は、カール大帝賞はヨーロッパの統合に向けた継続的な行動への敬意を表するだけではなく、将来に向けた希望や期待を奨励するものであるとしている。これについてはプファイファーの次の言葉を引き合いに出している。

(仮訳)カール大帝賞は未来に向けられたものであり、同時に義務を具体化したものでもあります。その義務とは、崇高な倫理観です。カール大帝賞はヨーロッパの諸国民が強制されるのではなく、自らが進んで結びついていくことを期待するものであり、その結びつきの強さでもって諸国民は自由、道徳、平和という至高の善を守り、また自らの子どもやその子どもの将来を守ることになるのです。
受賞者

年次受賞者役職等(当時)出身国
1950年
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー国際汎ヨーロッパ連合創設者 オーストリア
1951年ヘンドリーク・ブルグマン欧州連邦主義者連合代表 オランダ
1952年アルチデ・デ・ガスペリイタリア首相 イタリア
1953年ジャン・モネ欧州石炭鉄鋼共同体最高機関委員長 フランス
1954年コンラート・アデナウアー西ドイツ連邦首相 西ドイツ
1955年ウィンストン・チャーチルイギリス前首相 イギリス
1957年ポール=アンリ・スパーク北大西洋条約機構事務総長 ベルギー
1958年ロベール・シューマン欧州議員会議議長 フランス
1959年ジョージ・C・マーシャルアメリカ元国務長官 アメリカ合衆国
1960年ジョセフ・ベックルクセンブルク首相 ルクセンブルク
1961年ヴァルター・ハルシュタイン欧州経済共同体委員会委員長 西ドイツ
1963年エドワード・ヒース王璽尚書 イギリス
1964年アントニオ・セーニイタリア大統領 イタリア
1966年イェンス・オットー・クラーウデンマーク首相 デンマーク


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