カール・マルデン
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カール・マルデン
Karl Malden

本名Mladen George Sekulovich
生年月日 (1912-03-22) 1912年3月22日
没年月日 (2009-07-01) 2009年7月1日(97歳没)
出生地 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
民族セルビア系およびチェコ系[1]
身長184 cm
職業俳優
ジャンル映画・テレビ
活動期間1936年 - 2000年
配偶者モナ・グリーンバーグ(1938年 - 2009年)※死別
公式サイト ⇒http://www.karlmalden.com/
主な作品
欲望という名の電車』(1951年)
片目のジャック』(1961年)

 受賞
アカデミー賞
助演男優賞
1951年欲望という名の電車
エミー賞
助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
1985年『Fatal Vision』
その他の賞

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カール・マルデン(Karl Malden, 1912年3月22日 - 2009年7月1日)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の俳優アカデミー賞受賞歴1回。1938年から71年間続いた結婚生活はハリウッドの歴史で3番目に長い[1]
略歴

イリノイ州シカゴで生まれる。父親はセルビア系、母親はチェコ系[1]。5歳の時にシカゴのセルビア人居留地から家族でインディアナ州ゲーリーに移り、そこで育つ[2]。幼稚園に入るまで英語は全く話せなかった[1]

1931年にゲーリーのエマーソン高校を優秀な成績で卒業し、地元のUSスチール製鉄所で1934年まで3年間働いた後、アーカンソー州立教育大学(Arkansas State Teachers College、現在のアーカンソー中央大学)に短期間在籍、その後、シカゴのグッドマン劇場(英語版)の演劇学校に通う。3年後にニューヨークに渡り、1937年に舞台デビューすると、エリア・カザンの目に留まり、後にアーサー・ミラーの『みんな我が子』やテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』に出演することになる[1]

1940年に映画デビュー、1951年には映画『欲望という名の電車』で原作舞台劇で演じた役と同じ役を演じ、第24回アカデミー賞助演男優賞を受賞する。その後は映画を中心に活動するが、1970年代以降、活動の中心はテレビドラマになる。

1968年から1989年までアメリカン・エキスプレスのCMキャラクターを務める[1]

1989年から1992年まで映画芸術科学アカデミー(アカデミー協会)の会長を務め、2003年には第75回アカデミー賞授賞式に過去の受賞者として出席する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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