カール・デーニッツ
[Wikipedia|▼Menu]

ドイツ国政治家カール・デーニッツKarl Donitz
デーニッツの肖像写真 (1943年)
生年月日 (1891-09-16) 1891年9月16日
出生地 ドイツ帝国
プロイセン王国
ベルリン近郊グリュナウ(ドイツ語版)
没年月日 (1980-12-24) 1980年12月24日(89歳没)
死没地 西ドイツ
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州
アウミューレ(ドイツ語版)
出身校ミュルヴィク海軍兵学校
前職海軍軍人
(海軍大提督)
所属政党 国民社会主義ドイツ労働者党
1945年入党)
称号

黄金ナチ党員バッジ
騎士鉄十字章勲一等旭日大綬章
配偶者インゲボルグ・デーニッツ
子女ウルズラ・ヘスラー
クラウス・デーニッツ
ペーター・デーニッツ
サイン
ドイツ国 (フレンスブルク政府)
第3代 大統領
内閣ゲッベルス内閣
フォン・クロージク内閣
在任期間1945年4月30日 - 1945年5月23日
ドイツ海軍
第2代 海軍総司令官
内閣ヒトラー内閣
在任期間1943年1月30日 - 1945年5月1日
総統アドルフ・ヒトラー
ドイツ海軍
潜水艦隊司令長官
内閣ヒトラー内閣
在任期間1935年 - 1943年1月30日
総統アドルフ・ヒトラー
ドイツ国防軍
第2代国防軍最高司令官
内閣ゲッベルス内閣
フォン・クロージク内閣
在任期間1945年4月30日 - 1945年5月23日
大統領カール・デーニッツ
ドイツ国 (フレンスブルク政府)
国防大臣(英語版、ドイツ語版)
内閣ゲッベルス内閣
フォン・クロージク内閣
在任期間1945年4月30日 - 1945年5月23日
大統領カール・デーニッツ
テンプレートを表示

カール・デーニッツ
Karl Donitz
デーニッツの肖像写真 (1943年)
所属組織 ドイツ帝国海軍(Kaiserliche Marine)
ヴァイマル共和国海軍(Reichsmarine)
ドイツ海軍(Kriegsmarine)
軍歴1910年 - 1945年
最終階級 海軍元帥
(海軍大提督)
除隊後戦争犯罪人
ニュルンベルク裁判
被告人
テンプレートを表示

カール・デーニッツ(ドイツ語 : Karl Donitz、1891年9月16日 - 1980年12月24日)は、ドイツ海軍軍人政治家アドルフ・ヒトラーの後継者として第三帝国最後の政府を率いた。海軍軍人としての最終階級は元帥(大提督)。

第二次世界大戦開戦時には、潜水艦隊司令長官として、エーリヒ・レーダーオットー・シュニーヴィントに次ぐ事実上のドイツ海軍ナンバー3の地位にあった。無線誘導による群狼作戦を立案し、エルヴィン・ロンメルと並んで、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルを最も苦しめたドイツの軍人の一人として知られている。総統アドルフ・ヒトラー自殺後にはその遺書(英語版)に基づき大統領に就任し、連合国への無条件降伏を行った。
経歴
第一次世界大戦から戦間期まで1917年?1918年頃、潜水艦U39勤務時代のデーニッツ中尉

ベルリン近郊グリュナウ(ドイツ語版)にて、カール・ツァイス社の技師だった父エミール・デーニッツと母アンナ・バイエルの間に生まれる。母はカールが4歳の時に死に、父が男手ひとつでデーニッツ含む二人の息子を育てた。「皇帝と祖国に仕えることが第一の義務であり、個人の幸福など瑣末なことに過ぎない」というプロイセン的規律がデーニッツ家の教育方針だった[1]

1910年4月1日フレンスブルクミュルヴィク海軍兵学校入学[1]。1912年に父が死去し、父に代わる偶像として上官ヴィルフリート・フォン・レーヴェンフェルト(ドイツ語版)海軍大尉を尊敬するようになった[1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:127 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef