カールトン・フィスク
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カールトン・フィスク
Carlton Fisk
2013年7月27日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地バーモント州ベローズフォールズ
生年月日 (1947-12-26) 1947年12月26日(76歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1967年 MLBドラフト1巡目(全体4位)
初出場1969年9月18日
最終出場1993年6月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ボストン・レッドソックス (1969, 1971 - 1980)

シカゴ・ホワイトソックス (1981 - 1993)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2000年
得票率79.6%
選出方法全米野球記者協会選出
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カールトン・アーネスト・フィスク(Carlton Ernest Fisk, 1947年12月26日 - )は、アメリカ合衆国バーモント州ベローズフォールズ出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。愛称は「Pudge」。
経歴
ボストン・レッドソックス

1967年1月のMLBドラフトMLBボストン・レッドソックスから1巡目(全体4位)に指名を受け入団。同年9月18日の対ボルチモア・オリオールズ戦でMLBデビュー。

1971年9月12日の対デトロイト・タイガース戦でMLB初本塁打を記録。

1972年にレギュラーを獲得し、前半戦で打率.310、15本塁打の成績でオールスターゲームに初選出される。打率.293、22本塁打、61打点、リーグトップの9三塁打、共にリーグ2位の長打率.538、OPS.909を記録し、新人王を満票で受賞[1]MVPの投票でも4位に入り、ゴールドグラブ賞も獲得した。

1973年ニューヨーク・ヤンキースとの開幕戦で満塁本塁打を含む2本塁打を放ち6打点を記録するなど、前半戦で18本塁打を放つが、後半戦で打率.196と不振に陥った。

1974年は故障で出遅れ、復帰後は好調だったものの6月28日を最後に左足を骨折して離脱し、52試合の出場に留まる。同年のオールスターゲーム前の開会式では、松葉杖に支えられながらアメリカンリーグのスター選手達とファウルライン上に並び、スタンドのファンの大喝采を受けた[2]1975年

1975年も故障で出遅れ、6月下旬に復帰。79試合の出場ながら打率.331、10本塁打、52打点を記録しチームの地区優勝に貢献。ワールドシリーズ3連覇中のオークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.417と活躍し、チームは3連勝で8年ぶりのリーグ優勝。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは王手をかけられ、本拠地フェンウェイ・パークで迎えた第6戦の延長12回裏に先頭打者として打席に立ち、左翼ポールを直撃するサヨナラ本塁打を放つ。ポール際に飛んだ打球に向かって両手を大きく右に振って「入れ、入れ」とジェスチャーする姿は全米の注目の的となり、当時世界一の名バレエダンサーだったルドルフ・ヌレエフばりに「ヌレエフ・ダンス」と有名になった[2]。後に「シリーズ史上最高のゲーム」と呼ばれるようになった試合の象徴的なシーンだった。チームは第7戦で敗れてワールドチャンピオンを逃す。レッズ監督スパーキー・アンダーソンはフィスクの送球がシュート気味に二塁ベースの右の方に偏るのを見抜いて積極的に走らせ、レッズはこのシリーズでフィスクから9連続で盗塁を成功させている[2]

1977年は26本塁打、102打点、いずれもキャリアハイの打率.315、出塁率.402、106得点を記録。

1978年はキャリアハイの157試合に出場し、20本塁打、88打点を記録。チームはヤンキースとのワンゲームプレーオフで敗れて地区優勝を逃した。1980年オフにフリーエージェント(FA)となる。
シカゴ・ホワイトソックス1993年

1981年3月18日にシカゴ・ホワイトソックスと契約。同年は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮された影響で96試合の出場に留まるが、シルバースラッガー賞を受賞。

1983年は6月中旬まで打率が.200前後と不調だったが、7月に打率.366、10本塁打、31打点を記録するなど後半戦で打率.319、17本塁打、56打点と調子を上げ、チームの地区優勝に貢献。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.176に終わり、チームは1勝3敗で敗退。MVPの投票では自己最高の3位に入った。

1985年は9月6日のテキサス・レンジャーズ戦で7打点を記録するなど、打率.238ながらキャリアハイの37本塁打、107打点を記録し、2度目のシルバースラッガー賞を受賞。

1988年リック・フェレルが持つ捕手としての最多出場試合1806のMLB記録を40年ぶりに更新。同年は76試合の出場ながら19本塁打を記録し、3度目のシルバースラッガー賞を受賞。

1991年オールスターゲームに43歳で出場して安打を放ったが、これはオールスターゲーム出場選手中、最高齢安打記録である[2]

その後捕手としての出場試合を2226まで伸ばすが、1993年6月28日に解雇され、現役を引退。この出場試合記録は後にイバン・ロドリゲスが更新している。
引退後フィスクのホワイトソックス在籍時の背番号「72」
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番1997年指定。フィスクのレッドソックス在籍時の背番号「27」
ボストン・レッドソックスの永久欠番2000年指定。


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