カールスバート
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「カールスバート」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「カールズバッド」をご覧ください。

カルロヴィ・ヴァリ
Karlovy Vary


旗章

位置

位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度13分42秒 東経12度51分58秒 / 北緯50.22833度 東経12.86611度 / 50.22833; 12.86611
行政
 チェコ
  カルロヴィ・ヴァリ州
カルロヴィ・ヴァリ
Karlovy Vary
市長ペトル・クルハーネク
地理
面積 
  域59.10 km2
標高447 m
人口
人口(2010年現在)
  域53,907人
その他
等時帯中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : ⇒www.karlovy-vary.cz

カルロヴィ・ヴァリ(チェコ語: Karlovy Vary [?karlov? ?var?] ( 音声ファイル))は、チェコボヘミア西部の都市。ドイツ語名のカールスバート(Karlsbad, Carlsbad)という呼称もよく知られる。また、カルルスバードとする表記もある。人口は53,907人(2010年)。世界的に有名な温泉地である。
地勢・産業

テプラー川とラベ川(ドイツ語ではエルベ川)の支流であるオフジェ川(ドイツ語ではエーガー川)の合流点に発展し、温泉保養地として世界的に有名である。街の伝統産業としては、陶磁器工業、ボヘミア・ガラスに代表されるガラス工業、地元のビール産業など挙げられ、近年は化学機械、製材、食品工業の成長もみられる。
歴史

14世紀半ば、ボヘミア王であり神聖ローマ皇帝にもなったカール4世(ボヘミア王としてはカレル1世)が偶然に温泉を発見したとされる[1]。街の名称も、そのカール4世(カレル1世)にちなんだものである。

18世紀以降、温泉地として急速な発展を遂げていった。ウィーン体制下の1819年には、オーストリアメッテルニヒによる主導で自由主義運動を抑圧するカールスバート決議がなされた。19世紀になると鉄道の開通により、ウィーンなどから多数の湯治客が訪れるようになり、街はさらに発展した。

第二次世界大戦前までは、住民の大半はドイツ系であった(1939年の時点でドイツ系住民は5万3300人)。1938年には、ナチス・ドイツによるズデーテン地方の併合でドイツ領となったが、第二次世界大戦後、独立を回復したチェコスロバキア政府のベネシュ布告(ドイツ系住民の国籍剥奪と財産没収を規定)により、ドイツ系住民は強制的にカルロヴィ・ヴァリから追われることとなった(ドイツ人追放)。

第一次世界大戦後のチェコスロバキア建国に伴ってオーストリアから切り離されたことにより、ハプスブルク帝国の富裕層のための「リゾートを兼ねた湯治場」としての役割を終え、第二次世界大戦後に住民もほぼ入れ代わったカルロヴィ・ヴァリは以後、映画祭を開催するなどして街の振興に努めている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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