カーリング
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、スポーツ競技について説明しています。ビールのブランドについては「クアーズ」を、競走馬については「カーリング (競走馬)」をご覧ください。

カーリング
curling
カーリングの試合風景「2005 Tim Hortons Brier」より。
統括団体世界カーリング連盟
通称氷上のチェス
起源スコットランド
特徴
身体接触無
選手数4人または2人
男女混合有
カテゴリ屋内競技
競技場カーリングシート上
実施状況
オリンピック正式競技1998年 -
世界選手権1959年 - (男子)
1979年 - (女子)
パラリンピック2002年 -
テンプレートを表示
カーリングで投擲の対象となる「ストーン」。約20kgの花崗岩でできており、取っ手が付いている。この画像一杯に広がる同心円は、「ハウス」と呼ばれている。投擲動画。

カーリング(: curling)は、氷上で行われるウィンタースポーツ冬季オリンピック競技の一つ。

高度な戦略が必要とされ、その理詰めの試合展開から「氷上のチェス」とも呼ばれている。
概要

4人ずつ2チームで行われ、目標とする円をめがけて各チームが交互に8回ずつストーンを氷上に滑らせ、ストーンを円の中心により近づけたチームのみが得点を得る。これを10回または8回繰り返し、総得点で勝敗を競う。

ストーンは、ごく弱い回転をかけることで速度が落ちるに従い自然に曲がって(カールして)いく。また、進んでいくストーンの前の氷面を擦る(スウィープする)ことで、速度の低下や曲がりをある程度遅らせることができる。競技者はストーンを置く、他のストーンを弾くだけでなく、この曲がる性質を利用して他のストーンの背後にストーンを隠すといった複雑な戦略を採ることが可能となっている。ストーンのカールの度合いは、氷の滑り具合とともに、ストーンの個性、氷の状況や温度、コースの使用状況などによってばらつき、ゲーム中も刻一刻と変化する。

高い身体能力よりも、事前の予測と経験を元に相手の行動を先読みする想像力や、の状態やストーンの動きから即座に戦略を組み立て直す知能など、チェスなどのマインドスポーツで必須とされる能力が重視される。また、チームスポーツであるためコミュニケーション能力も重要である。

身体能力は、投擲やスウィーピングを正確に行うための正確性が重視されるが、先天的な能力は必要とされないため練習量が多いほど有利となる。また瞬発力や動体視力などの加齢による影響が強い能力は重視されないため、馬術競技と並び選手寿命が長い。公式大会は男女別に行われているが、体格による影響も少ないため男女間の成績に大差は無い。このような特徴から幅広い世代でプレイできるスポーツとなっている。

激しい動きや身体同士の接触はないため比較的安全な競技であるが、氷上競技であるため滑って転倒し頭部を強打する事故が発生しやすく、頭部外傷のガイドラインが示されている[1]
スポーツマンシップとフェアプレー

ゴルフと同じく本来は審判員が存在しないセルフジャッジ競技であり、スポーツマンシップが重要視される。相手チームの失策を喜んだり、そのような態度を示すことは、慎むべき行為として忌避される。途中のエンドの終了時に自チームに勝ち目がないと判断したとき、潔く自ら負けを認め、それを相手に握手を求める形で示すという習慣(コンシード[注 1])もフェアプレーの表れの1つである。勝ったチームも、抱き合うなどして喜びを表現する前に相手と握手する。

この理念は、世界カーリング連盟が定めるカーリング競技規則[2]の冒頭にカーリング精神 (The Spirit of Curling) として掲げられており、競技の根本がこの理念から成立していることを示している。
歴史『雪中の狩人』ピーテル・ブリューゲル(画)1565年。ニューヨークのセントラルパークでカーリングを楽しむ人々を描いた1836年のジョン・ジョージ・ブラウンの作品。

カーリングの歴史は、1511年の刻印のあるストーンがイギリススコットランドで発見されており[3]15?16世紀にスコットランドで発祥したとされている。当時は底の平らな川石を氷の上に滑らせていたものとされている。氷上で石を使うカーリングの元となったゲームの記録は、1541年2月に遡る。場所は、スコットランドのグラスゴー近郊のレンフルシャーである。ベルギーの画家のピーテル・ブリューゲルの作品『雪中の狩人』(1565年)の遠景には、すでに氷上でカーリングを楽しむ人々が描かれている。「カーリング」という名称の起源は定かではないが、1630年のスコットランドの印刷物中にこの名称の使用が確認されている。スコットランドでは16世紀から19世紀にかけて戸外でのカーリングが盛んに行われていた。リンクや用具の寸法はヤード・ポンド法で規定されているが、これはスコットランド発祥である名残でもある。

カーリングの現在の公式ルールは、主にカナダで確立したもので、1807年には王立カーリングクラブが設立されている。1832年にはアメリカ合衆国にカーリングクラブが誕生し、さらに19世紀の終わりまでにはスイススウェーデンへと広まっていった。カーリングは1998年長野オリンピック以降、冬季オリンピックの正式種目として採用されている。現在ではカナダ、アメリカといった北米、イギリス、スイス、スウェーデン、イタリアデンマークノルウェーロシアヨーロッパ諸国で盛んなほか、最近では日本中国韓国といったアジア圏でも盛んに行われている。
日本におけるカーリング

日本におけるカーリングは、1937年1月17日山梨県山中湖湖上にてカーリング大会が開かれた記事が認められる[4]

1967年にアメリカ人のダンカーティスによって富士山麓にて講習会が開かれた。

1969年長野県蓼科湖にてゲームが行われ、1973年に第1回カーリング大会が開かれたものの、普及には至らなかった[5]

日本において競技として定着させる礎となったのは、カーリングをカナダの指導者とともに紹介した小栗祐治を中心とする社団法人北方圏センター(現 ⇒公益社団法人北海道国際交流・協力総合センター)であり、北海道常呂郡常呂町(常呂町は、2006年に北見市と合併して消滅した。)である。1980年の北海道とカナダのアルバータ州との姉妹提携を機に、北方圏センターがカーリング講習会を道内各地で実施した。なかでも、当時の常呂町は当初からビールのミニ樽やプロパンガスのミニボンベなどでストーンを自作し、自治体を上げての普及に取り組んだ。1981年には「第1回NHK杯(北見放送局)カーリング大会」を常呂町にて開催、さらには1988年に国内初となるカーリングホールを町内に建設した。国内外の大会を開催してオリンピック代表選手を多数輩出するなど、常呂町は競技普及に大きな功績を残すことになる。別な情報として「昭和51年には、日本で最初に池田町が導入し、町民のほか近隣町村への普及に努めました」ともある(※北海道池田町教育委員会)。その後、1998年長野オリンピックでの男子チームのスキップ担当の敦賀信人の健闘や、2002年ソルトレイクシティオリンピックでの出場がテレビで中継されたことで日本でも徐々に認知が広がり、2006年トリノオリンピックでは日本勢が不振の中で女子代表のチーム青森の全試合がテレビ中継され、7位に入賞するという活躍を見せたことで、日本におけるカーリングの認知度が一挙に高まっていった。そして2018年平昌オリンピックでは、女子代表のLS北見がオリンピックのカーリング競技で日本勢初となる銅メダル2022年北京オリンピックでは2大会連続のメダルとなる銀メダルを獲得した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:181 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef