この項目では、シンガーソングライターについて説明しています。アルバムについては「カーラ・ボノフ (アルバム)」をご覧ください。
カーラ・ボノフ
Karla Bonoff
カーラ・ボノフ(2010年)
基本情報
生誕 (1951-12-27) 1951年12月27日(72歳)
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンタモニカ
学歴ユニバーシティー高校
ジャンルフォークロック、ポップ・ロック、ソフトロック、ウェストコースト・ロック、AOR
職業シンガーソングライター
担当楽器ボーカル、アコースティック・ギター、ピアノ
活動期間1968年 - 現在
レーベルコロムビア・レコード
Gold Castle Records
ヴァージン・レコード
共同作業者ブリンドル
ケニー・エドワーズ
カーラ・ボノフ(Karla Bonoff、1951年12月27日 - )は、アメリカ合衆国出身の女性シンガーソングライター、ミュージシャン。
アメリカ西海岸を代表するシンガーソングライターであり、アルバム『ささやく夜』のヒットなどが知られる。来日も数多く、往年のアーティストらとデュオも展開している[1]。 1951年、南カリフォルニア州において、ユダヤ系の両親の間に生まれる。幼少の頃よりピアノ習い、音楽と関わるようになる。ギターにも興味を持ち、1950年代の代表的フォークグループ「ウィーバーズ」のメンバーだったフランク・ハミルトン
経歴・人物
黎明期(1951年 - 1975年)
プロ活動開始盟友ケニー・エドワーズ(2009年)
1968年、実姉とフォーク・デュオを結成しプロ活動を開始するが、シングルデビューまでには至らず解散。その頃に出入りしていたライブハウス『トルバドール』にて[2]、フォークバンド 「ストーン・ポニーズ」で活動していたリンダ・ロンシュタットとケニー・エドワーズや、ジャクソン・ブラウン、ジェームス・テイラー、後にイーグルスを結成する面々等と知り合う。 その後、ストーン・ポニーズ解散後の1969年、エドワーズはカーラを誘いフォークロックバンド「ブリンドル」を結成した。1970年にA&Mレコードと契約し、アルバムの制作に着手。1971年に、待望のデビューシングルを先行して発表する。しかし評判はさほど広がらず、レーベルと方針の違いで衝突して上手くいかなくなり、アルバムリリースは頓挫してバンドは解散してしまう。 エドワーズは、以前の同僚リンダ・ロンシュタットとの仕事に復帰。カーラは再び、アンダーグラウンドでのソロ活動を余儀なくされる。 1970年代中期、この頃にはトップシンガーの地位を確立していたリンダ・ロンシュタットは、エドワーズの仲人でカーラら旧ブリンドルメンバーと親交を深め、バックアッパーとして起用。1976年のアルバム『Hasten Down the Wind(邦題= 風にさらわれた恋)』の収録曲にカーラ提供の楽曲「Lose Again」「Someone To Lay Down Beside Me」「If He's Ever Near」の3曲を採用する。これで知名度を上げたカーラはメインストリーム浮上のきっかけとなり、コロムビア・レコードとメジャー契約が叶う[3]。 1977年、エドワーズのプロデュースによるセルフタイトルの1stアルバム『Karla Bonoff(カーラ・ボノフ)』を発表。リンダをはじめ、J.D.サウザー、グレン・フライ、リーランド・スカラー等、これまで縁のあった友人達が作品に協力した。 1979年の2ndアルバム『Restless Nights(邦題= ささやく夜)』にもエドワーズ達のほか[4]、ジェームス・テイラー、ドン・ヘンリー、ジャッキー・デシャノン、ガース・ハドソン、デヴィッド・リンドレー、ダニー・コーチマー等が参加。 1982年の3rdアルバム『Wild Heart of the Young(邦題= 麗しの女?香りはバイオレット)』には、イーグルスのメンバー(ドン・ヘンリー、ティモシー・B・シュミット、ジョー・ウォルシュ)や、ビル・ペイン、デイヴィッド・サンボーン等がゲスト参加した。 1984年、挿入歌「Somebody's Eyes 順調に創作活動を重ねていたが、1988年発表の4thアルバム『New World(ニュー・ワールド)』を最後に、ソロリリースが途絶える。
師フランク・ハミルトン (2007年)
ジャクソン・ブラウン (1977年)
ジェームス・テイラー (1971年)
イーグルス (2008年)
ブリンドル結成
メジャーデビュー(1976年 - 1990年)リンダ・ロンシュタット(1976年)
ソロアルバム期
ブリンドル再結成から円熟期へ(1991年 - 現在)2007年頃のフォト
ソロでは、2007年にオフィシャルのライブ・アルバムをリリース。