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カーラ・ブレイ
Carla Bley
カーラ・ブレイ(2007年)
基本情報
出生名Lovella May Borg
生誕 (1936-05-11) 1936年5月11日
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州オークランド
死没 (2023-10-17) 2023年10月17日(87歳没)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州
担当楽器ピアノ、オルガン
活動期間1960年 - 2023年
レーベルWATT、ECM、ユニバーサル
公式サイト ⇒wattxtrawatt.com
カーラ・ブレイ(Carla Bley、1936年5月11日 - 2023年10月17日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家。バップ以後のコンポーザーの中で優れた音楽的才能を持つミュージシャンであった。 女性の作曲家として知られたカーラ・ブレイは、教会音楽家の父親の手ほどきで音楽の基礎を学び、その後はアカデミズムとは無縁で、ほとんど独学で通した。17歳の頃、ジャズに開眼し、当時ジャズが活気づいていた街、ニューヨークへの移住を決意する。しかし、この頃のカーラはミュージシャンとして生計を立てることができず、ウェイトレスなどの仕事をすることで日々食いつないでいた。 売れっ子どころか日々の暮らしにも事欠いていたカーラに転機が訪れるのは、1957年のポール・ブレイとの結婚以後のことである。最初こそうだつが上がらなかったものの、個性的な楽曲を作り出すようになったカーラは、その音楽を広く認められ、アート・ファーマー(アルバム『ブルースをそっと歌って』等)、ゲイリー・バートン(アルバム『葬送』等)、チャーリー・ヘイデン(アルバム『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』等)といったミュージシャンのアルバムに楽曲を提供し、一躍ジャズ界を代表するトップ・コンポーザーのひとりとなった。 1966年、2人目の夫になるトランペット奏者、マイケル・マントラーと共に、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」を設立、商業主義からのミュージシャンの保護、自由化に多大な貢献を為した。1971年、詩人ポール・ヘインズとの共作にしてLP3枚組の大作ジャズ・オペラ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』を完成させた。この作品は実験作的色合いが濃厚で、当時のジャズ界に物議をかもした。 その後も、カーラの創作意欲は衰えることを知らず、チャーリー・ヘイデンとの『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』の続編である『戦死者たちのバラッド』、3人目の夫になるスティーヴ・スワロウとのデュオ・アルバム、オーケストラ・アルバム『ザ・ヴェリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンド』などの作品をコンスタントに発表し続けていた。 2023年10月17日、アメリカ合衆国ニューヨーク州北部の自宅にて、脳腫瘍の合併症により死去[1][2]。87歳没。
略歴
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム
『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』 - Escalator Over The Hill (1971年) ※with ポール・ヘインズ
『トロピック・アペタイト』 - Tropic Appetites (1974年)
『ディナー・ミュージック』 - Dinner Music (1977年)
『ヨーロピアン・ツアー 1977』 - European Tour 1977 (1978年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
『ミュジーク・メカニーク』 - Musique Mecanique (1979年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
『ソーシャル・スタディズ』 - Social Studies (1981年)
『ライヴ! (艶奏会)』 - Live! (1982年)
『戦死者たちのバラッド』 - The Ballad Of The Fallen (1983年) ※with チャーリー・ヘイデン
『歌うのなんて好きじゃない』 - I Hate To Sing (1984年) ※ザ・カーラ・ブレイ・バンド名義
『ヘヴィ・ハート』 - Heavy Heart (1984年)
『ナイト・グロウ』 - Night-Glo (1985年)
『モア・ブラームス』 - Sextet (1987年)
『デュエッツ』 - Duets (1988年) ※with スティーヴ・スワロウ