カービー・パケット
Kirby Puckett1987年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地イリノイ州シカゴ
生年月日1960年3月14日
没年月日 (2006-03-06) 2006年3月6日(45歳没)
身長
体重5' 8" =約172.7 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り1982年 ドラフト1巡目(全体3位)
初出場1984年5月8日
最終出場1995年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ブラッドリー大学
カービー・パケット(Kirby Puckett, 1960年3月14日 - 2006年3月6日)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手(外野手)。 1982年1月のMLBドラフトでミネソタ・ツインズから1巡目(全体3位)に指名を受け入団。 1984年5月8日のカリフォルニア・エンゼルス戦でメジャーデビューし、5打数4安打を記録するなど前半戦は.341の高打率をマーク。後半やや調子を落としたが、最終的に.296・165安打を記録した。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではアルビン・デービス、マーク・ラングストンに次ぐ3位に入った。1985年4月22日のシアトル・マリナーズ戦でメジャー初本塁打を放つ。1986年は前半戦で打率.338・16本塁打を記録し、自身初のオールスターゲームに選出されて先発出場を果たし、以後9年連続で選出される。8月1日のオークランド・アスレティックス戦でサイクルヒットを達成。打率.328、キャリアハイの31本塁打、96打点、ドン・マッティングリーに次ぐリーグ2位の223安打を記録。シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞を初受賞し、MVPの投票では6位に入った。1987年は打率.332・28本塁打・99打点、リーグ最多の207安打を記録し、チームの地区優勝に貢献。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.208と振るわなかったが、チームは4勝1敗でタイガースを下し22年ぶりのリーグ優勝。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは打率.357と活躍し、チームは4勝3敗でカージナルスを破ってワシントン・セネタース時代の1924年以来、ミネアポリス移転後初の世界一の栄冠を手にした。MVPの投票では3位。 1988年はウェイド・ボッグスに次ぐリーグ2位の打率.356、24本塁打、キャリアハイの121打点、2年連続リーグ最多の234安打を記録。1989年は3年連続リーグ最多の215安打・打率.339で自身初の首位打者のタイトルを獲得した。1990年は打率.298・164安打で連続打率3割・200安打が4年で途切れ、チームも地区最下位に沈んだ。1991年は打率.319をマークし、チームは前年の地区最下位から地区優勝。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.429・2本塁打の活躍でシリーズMVPを受賞。チームは4勝1敗でシリーズを制した。前年地区最下位同士の対戦となったアトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは一転して不振だったが、第6戦で延長11回にサヨナラ本塁打を放つ活躍もあり、チームは4勝3敗で4年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。1992年にリーグ最多の210安打で3年ぶりの200安打を記録し、MVPの投票で自己最高の2位に入った。1994年4月8日のアスレティックス戦でボブ・ウェルチから安打を放ち、通算2000安打を達成。同年は1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、108試合の出場で112打点を記録し、最多打点のタイトルを獲得した。1995年も打率.314・23本塁打・99打点を記録したが、緑内障に冒されて右目を失明し、1996年シーズン前に引退を表明した。 同年ロベルト・クレメンテ賞を受賞し、1997年に背番号『34』が球団の永久欠番に指定された。資格1年目の2001年にサンディ・コーファックス、ルー・ゲーリッグに次ぐ史上3番目の若さでアメリカ野球殿堂入りを果たした。 2002年2月に複数の女性との浮気が発覚し、夫人から離婚訴訟を起こされた。また同年10月にはレストランのトイレに女性を引きずりこんで胸を触ったとされ、監禁と暴行容疑で逮捕されたが[1]、後に無罪となっている。その後も2004年に夫人に暴力を振るって逮捕されるなどトラブルを抱えるなど、引退後は順風な生活とは行かなかった。 2006年3月5日朝、自宅で出血性脳卒中で倒れ、ただちに病院に搬送、緊急手術が行われるが手遅れで、翌3月6日に死去した。45歳没。当初、パケットの死因は高血圧症からの心臓発作とされた。 死後、同年3月12日に本拠地メトロドームにて追悼式が行われ、かつてのチームメイトだったケント・ハーベックやダン・グラッデン、監督のトム・ケリーらが列席してパケットを偲んだ。 2010年、現本拠地ターゲット・フィールド外にパケットの銅像が建立された。1991年のワールドシリーズ第6戦にてサヨナラホームランを打って、ベースを回るときの姿が銅像になっている。
経歴
現役時代
引退後引退直後のパケットパケットの背番号「34」。
ミネソタ・ツインズの永久欠番に1997年指定。
最期2006年3月12日、メトロドームで行われたパケット追悼セレモニー。