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出典検索?: "カーネル・サンダースの呪い" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年6月)
カーネル・サンダースの呪い(カーネルサンダースののろい、英: "Curse of the Colonel"又は"the Colonel Sanders hex"[1])とは、1985年(昭和60年)10月16日に、日本プロ野球球団、阪神タイガースの21年ぶりのセントラル・リーグ優勝に狂喜した阪神ファンが、カーネル・サンダースの像を道頓堀川に投げ入れた因果で、翌年以降の同球団の成績が低迷した、という都市伝説である[2]。 1985年(昭和60年)10月16日、阪神のセントラル・リーグ優勝が決まった際に狂喜し半ば暴徒化した阪神ファン等が、大阪府大阪市南区(当時、現在の中央区)道頓堀に集結していた。群衆はケンタッキーフライドチキン道頓堀店(のち閉店。現存せず)に設置してあったカーネル・サンダースの像を、阪神優勝に大きく貢献した助っ人外国人のランディ・バースに見立て、制止しようとする店員に暴行を加えて担ぎ出し、胴上げの末に道頓堀川に投げ落とした[注 1]。 この事件の翌年から、阪神タイガースは17年連続でリーグ優勝を逃しており、その急激に弱体化した原因は川底に葬り去られたカーネルの呪いではないかと野球ファンの間で囁かれ[3]、都市伝説として定着した[4]。一部のファンは像が回収されるまで優勝は無理だと信じていた[5]。都市伝説定着の大きなきっかけとしては、1988年(昭和63年)3月に放送された朝日放送テレビ(ABC)のバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』が挙げられる[6][7]。 当時川への飛び込みに参加した落語家桂福若の証言によると、高校の後輩が道頓堀川に放り投げたという[8]。そのまま像は浮上せず、その後数年に一度の頻度で大阪市が行っていた道頓堀川の川底清掃作業(船を使ってヘドロやごみなどを除去する作業)でも発見できなかったが[9]、23年半後の2009年(平成21年)3月10日に発見され、大きな反響を呼んだ(後述)。 同様の例として、2004年のワールドシリーズで勝利するまで80年以上もワールドチャンピオンから遠ざかっていたMLB球団、ボストン・レッドソックスもベーブ・ルースをニューヨーク・ヤンキースに放出したことが原因でバンビーノの呪いの下にあると言われていた時期があり、この二つの呪いは時折比較されている[4]。レッドソックスファンも勝利を祝って破壊的行為を行う者も出るほどの熱狂的な応援で知られている[10]。KFC秘伝の「11種類のハーブとスパイスのブレンド」のレシピを漏らそうとする者の生命に危険が及ぶとされる「カーネルの呪い」としても使用されてきた[11][12]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 優勝の翌年、阪神は開幕から横浜大洋ホエールズに3連敗を喫した。その後阪神は復調するが主力の掛布雅之がデッドボールによる骨折など度重なる故障、エースの池田親興がベースカバーの際に骨折しそれぞれが戦線離脱。戦力が整わないまま本年のペナントレースを戦う事になる。また阪神はシーズン中、7連勝、9連勝と大型連勝をしたが連勝はいずれも大洋に止められてしまい最終的には広島、巨人に大きく差をつけられた3位に終わる。ただしこの時(1986年(昭和61年)当時)は「カーネル・サンダースの呪い」という言葉はまだなかった。 翌1987年(昭和62年)は球団史上最低勝率の勝率.331を記録。この年から2001年までの15シーズンで最下位が10回という暗黒時代を迎えた(詳細は暗黒時代 (阪神タイガース)を参照)。87年は日本テレビのニュース番組『ズームイン!!朝!』で、中継先の読売テレビのアナウンサー辛坊治郎(当時)、森たけしが、阪神が負けるたびに「なんぎやなあ」と嘆き(試合のない日の翌日も勝ち星がないということで「なんぎやなあ」と嘆いた)、流行語大賞銀賞を獲得するまでに至った(2人は後に負ける気せんねのタイトルでメジャーデビューを果たしている)。 1988年(昭和63年)には、バースが息子の病気治療への対応を巡り球団と対立し退団した後に引退し、掛布も度重なる故障で33歳の若さで引退。球団代表の古谷真吾が飛び降り自殺をするなど混乱を極めた。
概要
都市伝説
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ペナントレースや主力選手への影響