カーネギー国際平和基金
Carnegie Endowment for International Peace
ワシントンD.C.の本部
略称CEIP
標語The Global Think Tank
設立1910年12月14日 (113年前) (1910-12-14)
設立者アンドリュー・カーネギー
種類財団
法的地位非営利団体
目的新しい政策アイデアの分析と開発により、平和と国際協力を推進すること[1]
本部 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
所在地.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
ワシントンD.C.、、ベイルート、ブリュッセル、北京、ニューデリー、モスクワ(2022年4月閉鎖[2]))
貢献地域全世界
組織的方法独自の分析・政策アイデアを広めるための出版物や報告書、セミナー、ポッドキャスト、フェローの訓練や指導
分野国際関係、平和・紛争研究
カーネギー国際平和基金(カーネギーこくさいへいわききん、Carnegie Endowment for International Peace (CEIP))は、国際関係に関する超党派のシンクタンクである。アメリカ合衆国ワシントンD.C.に本部を置き、2016年時点ではロシア連邦(モスクワ)、中東のレバノン(ベイルート)、中華人民共和国(北京)、欧州(ベルギーの首都ブリュッセル)、インド(ニューデリー)に支部を置いていた[1]が、モスクワセンターは2022年ロシアのウクライナ侵攻下の同年4月、ロシア政府により閉鎖させられた[2]。1910年にアンドリュー・カーネギーによって設立された。国際協力を推進し、アメリカによる積極的な国際問題への関与を促進することを目的としている。日本語ではカーネギー国際平和財団(カーネギーこくさいへいわざいだん)とも訳される[2]。
ペンシルベニア大学の2019年の報告書で、世界で最も影響力のあるシンクタンクと報告された[4]。2015年の報告書では、ブルッキングス研究所、チャタムハウスに次ぐ世界3位だった[5]。2018年の報告書では、無党派のシンクタンクのトップとなっている[6]。
元アメリカ合衆国商務長官のペニー・プリツカーが評議員会議長(Chair of the Board of Trustees)を[7]、マリアーノ=フロレンティーノ・クエリャル(英語版)が理事長(President)を務める[8]。
歴史
設立設立者、アンドリュー・カーネギー(1913年)
アメリカの実業家アンドリュー・カーネギーは国際協調主義者であり、国際法や国際機関を強化することにより戦争をなくすことができると考えていた。カーネギー国際平和基金は、そのための機関として設立されたものである[9]。
75歳の誕生日を迎えた1910年11月25日、カーネギーは1千万ドルに相当する年利5%の第一抵当権付社債を元手とする基金を設立し、この利子による収入により、世界平和に関するシンクタンクを設立することを発表した[10]。同年12月14日に提出した寄贈証書で、カーネギーは、評議員に対してこの基金を「我々の文明における最大の汚点である国際戦争の早期の全廃」のために使うよう求め、その目的を達成するために採られる方針に対する幅広い裁量を評議員に対し与えた[11]。
カーネギーは、アメリカ合衆国上院議員、元アメリカ合衆国陸軍長官・国務長官で、自身の長年にわたる助言者であったエリフ・ルートを、基金の初代理事長に任命した。ルートは1925年までその地位にあり、その間の1912年にノーベル平和賞を受賞した。設立時の評議員には、ハーバード大学学長チャールズ・W・エリオット、慈善家のロバート・S・ブルッキングス(英語版)、元駐英大使のジョセフ・ホッジス・チョート(英語版)、元国務長官ジョン・W・フォスター、カーネギー教育振興財団理事長ヘンリー・スミス・プリチェット(英語版)らがいた[9]。
最初の50年: 1910-1960年1910年から1947年まで本部が置かれたピーター・パーカー・ハウス(英語版)(ワシントンD.C.、ジャクソン・プレイス(英語版)700番地)
1913年、スイスでの平和基金会議には日本からは小川郷太郎が参加した[12]。
1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦したとき、評議員会は「恒久的な国際平和を推進する最も効果的な手段は、民主主義の最終的な勝利のためにドイツ帝国政府との戦争を遂行することである」と満場一致で決議した[13]。1918年12月、事務局長ジェームズ・ブラウン・スコット(英語版)とジェームズ・T・ショットウェル(英語版)ら国際平和基金事務局の職員4人は、アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンとともにパリ講和会議に参加した。
カーネギーは世界各地にカーネギー図書館を建設したことでも知られている。当初、この事業に国際平和基金は関与せず、主に英語圏に設置されていた。第一次世界大戦後、大戦で大きな被害を受けたベルギー、フランス[14]、セルビアの3都市に、国際平和基金が図書館を設置した。また、1918年からはアメリカ国内外の市民が国際的な視野を養うために図書館に国際問題に関する蔵書を寄贈する「インターナショナル・マインド・アルコーブ・プログラム」を開始した[15]。このプログラムは1958年まで実施された[15]。