カート・ヴォネガット
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カート・ヴォネガット
Kurt Vonnegut
ヴォネガット(1972年)
誕生Kurt Vonnegut, Jr.
1922年11月11日
アメリカ合衆国
インディアナ州インディアナポリス
死没 (2007-04-11) 2007年4月11日(84歳没)
アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク
職業小説家、劇作家、随筆家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間1949年 ? 2005年
ジャンルSF小説
代表作『タイタンの妖女』(1959年)
『猫のゆりかご』(1963年)
『スローターハウス5』(1969年)
影響を受けたもの

ルイ=フェルディナン・セリーヌジョセフ・ヘラーマーク・トウェインジョージ・オーウェルユージン・V・デブスジョージ・バーナード・ショージェームズ・サーバージェイムズ・ジョイス

影響を与えたもの

ダグラス・アダムズ[1]ビル・ブライソンポール・オースタージョーネン・バスケスルイス・サッカー村上春樹クーラ・シェイカージョン・アーヴィング太田光

公式サイト ⇒http://vonnegut.com
ウィキポータル 文学
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カート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut、1922年11月11日 - 2007年4月11日)は、アメリカ小説家エッセイスト劇作家。1976年の作品『スラップスティック』より以前の作品はカート・ヴォネガット・ジュニア(Kurt Vonnegut Jr.)の名で出版されていた。

人類に対する絶望と皮肉と愛情を、シニカルかつユーモラスな筆致で描き人気を博した。現代アメリカ文学を代表する作家の一人とみなされている。代表作には『タイタンの妖女』、『猫のゆりかご』(1963年)、『スローターハウス5』(1969年)、『チャンピオンたちの朝食』(1973年)などがある。ヒューマニストとして知られており、アメリカヒューマニスト協会の名誉会長も務めたことがある。20世紀アメリカ人作家の中で最も広く影響を与えた人物とされている[2]
生涯
前半生

ヴォネガットは1922年にインディアナ州インディアナポリスドイツ系移民の家庭に生まれた。彼の誕生日は第一次世界大戦の3年目の休戦記念日である。ヴォネガットはこのことを誇りとしており、後に祭日の名称が「復員軍人の日」に変更されたことについて『チャンピオンたちの朝食』の中で批判的に取り上げている。父カート・ヴォネガット・シニアと祖父は共にMIT出身で、Vonnegut & Bohn というインディアナポリスの建設会社で建築士を務めていた。曽祖父は Vonnegut Hardware Company という会社を起業した人物である[3]

1940年にコーネル大学に入学し生化学を学ぶ一方で学内紙の『コーネル・デイリー・サン』の副編集長も務めた[4]。コーネル大学では父と同じフラタニティである Delta Upsilon に属していた。コーネル大学在学中にアメリカ陸軍に徴募される[5]。陸軍はヴォネガットをカーネギー工科大学テネシー大学に転校させ、機械工学を学ばせた[2]。1944年の母の日に母のエディスが睡眠薬を過剰摂取し自殺した[6]。生活の困窮や息子のドイツ戦線配属を苦にしたものとされている。
第二次世界大戦1940年代初頭、アメリカ陸軍の肖像

カート・ヴォネガットが兵士および捕虜として戦争で経験したことは、後の作品に深い影響を与えている。1944年、アメリカ合衆国第106歩兵師団第423普通科連隊の兵卒として第二次世界大戦欧州戦線に参加し、バルジの戦いコートニー・ホッジス率いる第1軍から第106歩兵師団が分断され取り残された12月19日に捕虜となった。「味方のアメリカ軍とははぐれてしまった。我々はその場で戦うことを余儀なくされた。しかし銃剣は戦車には太刀打ちできない……[7]ドレスデンに連れて行かれたヴォネガットは、ドイツ語が少しできるということで捕虜のリーダーの1人に選ばれた。ドイツ軍守衛に「…ロシア軍がやってきたら、やってやろうと思っていること…」を話したことで打ち据えられ、リーダーの地位も剥奪された[8]


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