カーター・ディクスン
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ジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr, 1906年11月30日 - 1977年2月27日)は、アメリカ合衆国小説家である。密室殺人を扱った推理小説で知られる。

カーター・ディクスン (Carter Dickson) というペンネームでも多くの作品を発表した。日本では80冊を超える著書のほとんどが翻訳されている。目次

1 経歴

2 作風

3 探偵役

4 著書リスト

4.1 長編

4.1.1 アンリ・バンコランもの

4.1.2 ギデオン・フェル博士もの

4.1.3 ヘンリー・メリヴェール卿もの(カーター・ディクスン名義)

4.1.4 歴史ミステリ

4.1.5 ノン・シリーズ


4.2 短編集

4.3 ラジオ・ドラマ集

4.4 その他

4.5 共著


5 文献

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

経歴

ペンシルベニア州ユニオンタウン (Uniontown) でスコッチ・アイリッシュの家系に生まれる。父ウッダ・ニコラス・カーは弁護士で下院議員や郵便局長も務めた。

1921年にハイスクールの学内誌に発表した推理小説が最初の創作である。ハバフォード大学に進学後も、学生雑誌に歴史小説やアンリ・バンコランの登場する推理小説を発表する。

ペンシルバニア州の米国議会議員であるウッダ・ニコラス・カーの息子であったジョン・ディクスン・カーは、1925年にペンシルバニア州ポッツタウンのヒルスクール(The Hill School in Pottstown)を卒業して、1929年にハバフォード大学(Haverford College、リトル・アイビー加盟校)を卒業している[1]

帰国後、同人誌に発表した中編『グラン・ギニョール』(Grand Guignol 1929年)を長編化した『夜歩く』(1930年)が評判となり、専業作家への道が開けた。同作はその年のうちに日本語訳が刊行されている[2]1932年にイギリス人クラリス・クリーヴスと結婚してブリストルに居を構えてのち、代表作の多くを滞英中に書いた。ほとんどの作品がイギリスを舞台にしていたため、しばしば米語が巧みなイギリス人と誤解され、名鑑などでも帰化と記載されたことがある。

1933年には、より多くの作品と印税を得るべく、ペンネームで『夜歩く』や『魔女の隠れ家』(1933年)に似たトリックの『弓弦城殺人事件』を発表した。その際出版社が本人に無断でカー・ディクスン (Carr Dickson) の名義で刊行しトラブルとなる。以後ペンネームはカーター・ディクスンとした。1934年にはロジャー・フェアベーン (Roger Fairbairn) 名義でも歴史小説を1作発表するが、生前は秘密にされていた。 ディクスンの正体は一目瞭然であったが公表は1956年のことである。

1936年には『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』を発表する。17世紀末に起きた殺人事件の顛末を当時の史料から再構成し、自分なりの真相を付け加えた歴史読物である。同年ドロシー・L・セイヤーズアントニー・バークリーの推挙により、アメリカ人として初めてイギリスの推理作家団体であるディテクションクラブに招聘され、多くの作家と親交を深めた。第二次世界大戦が勃発すると一時帰国したが、BBCの要請で再び渡英し、ラジオドラマ[3]やプロパガンダ放送などを手がけた。後年の短編集にもその一部が収められている。この時期アーサー・コナン・ドイルの次男エイドリアンの依頼で評伝を執筆し、シャーロック・ホームズのパスティーシュを合作した。

戦争中に爆撃で家を失い、戦後も物不足できびしい生活が続いたため、1947年ニューヨーク州ママロネックに移住する。エラリー・クイーンクレイトン・ロースンらと交友を深め、ロースンとは同一設定を用いた作品を競作している。その後タンジールや三たびイギリスでも暮らしたのち、サウスカロライナ州のグリーンヴィルに定住した。晩年は『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』への月評をおもな仕事とし、1977年に肺ガンで亡くなった。

1950年に評伝『コナン・ドイル』によりMWA賞特別賞、1963年にそれまでの業績によりMWA賞巨匠賞、1969年に『火よ、燃えろ!』の仏訳でフランス推理小説大賞の外国作品賞、1970年には40年にわたる作家活動によりMWA賞特別賞をそれぞれ受賞した。
作風

「密室派 (Locked Room School) の総帥」「密室の王者」の異名を持つ。

チェスタトンやポーM・R・ジェイムズの愛読者であったため、初期作品は知る人もないような小道具や超自然をにおわす事物をちりばめた舞台にグロテスクな登場人物を配し、起こる事件は人間には不可能としか見えず、真相は錯綜した設定の上にかろうじて成り立っている。時に冒険小説やファースの手法も取り入れられた。伏線が巧みであり、解決が説得力に乏しい場合も、読者の理解を超えるという事態はほとんどない。一方、第三者の介在や偶然が多すぎる、行動の動機が薄弱で不合理に陥る、トリッキーに過ぎてアンフェアを招く、筆致が泥臭い、登場人物が代わり映えしない、などの欠陥も指摘されている。

1940年代は怪奇趣味が薄れ、人間関係に注意が払われた状況のもとで、シンプルなトリックに支えられた作品が増える。サスペンス小説の趣向も見られる。第二次世界大戦後は、デュマスティーヴンソンの愛読者でもあったその作品は、同時代への嫌悪と過去への憧れを反映して、時代ミステリが中心となる。1970年代以降に隆盛をみるこのジャンルの先駆者のひとりである。綿密な時代考証と風俗描写が特徴で、全作巻末に「好事家のためのノート」と題された注釈が付されている。1951年刊行の時代物第二作『ビロードの悪魔』はミステリやSFの要素(タイムスリップ)を含むチャンバラ小説で、カーの初刊本で最大の部数を販売した。

「総帥」「王者」の面目は実作だけでなく、『三つの棺』の第17章「密室の講義」は、密室トリックを分類したエッセイとしても評価されている。パロディパスティーシュの対象になることも多い。例えばウィリアム・ブリテン『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』の主人公は、カーの作品を読みつくしたあげく密室殺人を企む。ドナルド・E・ウェストレイク『二役は大変!』の主人公は、高校時代に読んだ『三つの棺』のトリックを、本家とは違ってリハーサルを重ねたのち実演し窮地を脱する。スティーヴ・キャレラは、『殺意の楔』で密室殺人に遭遇し「カーに問い合わせようか」と独白する。日本では生誕百周年を記念して書下ろしアンソロジー『密室と奇蹟』が東京創元社から刊行された。
探偵役

学生時代に書かれた短編と最初の4つの長編ではパリの予審判事アンリ・バンコランが活躍する。その冷笑的な性格は人気を得られず、のちにはカー自身もリアリティを感じられなくなった。続いて登場した2人の肥満したイギリス人、『魔女の隠れ家』でデビューしたギデオン・フェル博士と、『黒死荘の殺人(プレーグ・コートの殺人)』で登場したヘンリー・メリヴェール卿(通称H・M)は人気を得て多くの作品に登場した。


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