カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林
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カンペチェ州カラクムルの
古代マヤ都市と
熱帯保護林
メキシコ

カラクムル遺跡の建造物と周辺に広がる熱帯林
英名Ancient Maya City and Protected Tropical Forests of Calakmul, Campeche
仏名Ancienne cite maya et forets tropicales protegees de Calakmul, Campeche
面積331,397 ha
(緩衝地域 391,788 ha)
登録区分複合遺産
文化区分遺跡
IUCN分類VI (資源保護地域)
登録基準(1), (2), (3), (4), (9), (10)
登録年2002年(第26回世界遺産委員会)
拡張年2014年(第38回世界遺産委員会
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図

使用方法表示

カンペチェ州カラクムルの古代マヤ都市と熱帯保護林(カンペチェしゅうカラクムルのこだいマヤとしとねったいほごりん)は、メキシコカンペチェ州にある同国最大級の自然保護区であるカラクムル生物圏保護区(英語版)の半分程度と、その地区内に残るカラクムル遺跡群を対象とするUNESCO世界遺産リスト登録物件である。カラクムル遺跡は古典期ティカルと並ぶ強大な勢力を持っていた都市国家の遺跡であり、2002年にそれがまず文化遺産として登録された後、2014年に自然保護区に拡大する形で複合遺産となった。メキシコの世界遺産カリブ海ラテンアメリカ地域では突出した保有件数ではあるが、複合遺産の登録は本件が初であった。また、文化遺産が拡大登録されて複合遺産となった最初の事例でもある。
目次

1 歴史

2 構成資産

2.1 カラクムル遺跡

2.2 カラクムル生物圏保護区


3 登録経緯

4 登録名

5 登録基準

6 アクセス

7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 参考文献

9 関連項目

歴史詳細は「カラクムル」を参照

カラクムルで人が定住したのは先古典期中期で、後期には巨大なピラミッド型の「建造物II」が建てられている[1]。カラクムルの名は、もうひとつの「建造物I」と併せて「2つの隣り合うマウンド」が存在することを意味するが[1][2]、古典期には「蛇」を意味する「カーン」(Kaan) ないし「カン」(Kan) と呼ばれていたことが紋章文字から推定されており[2]、その出現頻度は当時の権勢の傍証になっている[1]

先古典期の様子は直接的な文字資料を持たないが、他地域の遺跡との比較などを踏まえて、相応の権力基盤が成立していたものと推測されている[3]。その後、古典期前期には離れた都市にも支配を広げていたことが読み取られているが、カラクムル自体にはその頃に属する石碑は2つしかない[4]。その後、トゥーン・カブ・ヒシュ(英語版)王の治世(6世紀前半)以降、領地拡大が顕著になり、広い範囲を勢力におさめていく[5]。ことに南のカラコルによるティカルに対する勝利(562年)およびその後のティカルの停滞には、カラクムルが大きく関わっていたとされる[6]。カラクムルはその後も勢力を拡大し、パレンケを2度破り、ナランホを攻略して最終的に支配下に置き、ティカルに対しても更なる干渉によって弱体化を狙った[7]

しかし、ティカルに喫した大敗(695年)を境にマヤ南部唯一の超大国としての地位から陥落し、徐々に勢力を弱めてゆく[2][8]。そして542年から909年までに16人を数えたカラクムルの王統は[2][9]、909年と推測される石碑に刻まれたアフ・トーク王を最後に、以降確認できなくなる[10]。一般に10世紀末を以ってカラクムルは放棄されたと見なされている[11][12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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