カンバーランド
市
Cumberland
中心街(2001年)
愛称: "女王の都市"、"C-ランド"
標語: "来て、住んで!"
アリゲイニー郡内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度38分52秒 西経78度45分46秒 / 北緯39.64778度 西経78.76278度 / 39.64778; -78.76278
カンバーランド(英: Cumberland)は、アメリカ合衆国メリーランド州の都市。アリゲイニー郡の郡庁所在地である。人口は1万9076人(2020年)。カンバーランド都市圏の中核である。メリーランド州西部とウェストバージニア州ポトマック高原の事業と商業の中心であり、西部への入口になっている。
カンバーランドはかつてメリーランド州で2番目に大きな都市だったので、「女王の都市」と呼ばれてきた。「南部が始まる所」とも呼ばれることが多い。戦略的な位置にあるので、1800年代前半を通じて西への移民の道に進むために、準備を行い出発する地点となり、アメリカ独立戦争後にオハイオ領土やルイジアナ買収地への入植を可能にしてきた。カンバーランド大都市圏は国内でも最貧クラスの都市圏であり、一人当たり年間収入では318都市圏のうちの第305位である[3]。 カンバーランドの名前はイギリス王ジョージ2世の息子カンバーランド公プリンス・ウィリアムから名付けられた。フレンチ・インディアン戦争のときにイギリス軍エドワード・ブラドック将軍が、フランス軍の要塞デュケーヌ砦(現在のピッツバーグがある場所)を攻撃するために出発した場所であるカンバーランド砦があった場所に町が建設された。 やはりフレンチ・インディアン戦争のときに、ジョージ・ワシントン大佐の前進基地でもあり、最初の作戦本部が築かれた。ワシントンは1794年に大統領としてこの地に戻り、ウィスキー税反乱を鎮めるために集められた軍隊を閲兵した。ブラドックの軍事道路図 19世紀のカンバーランドは道路、鉄道、運河の重要な結節点であり、メリーランド州で2番目に大きな都市である時期もあった(港湾都市のボルチモアに次ぐ都市であり、そのことから「女王の都市」というニックネームがついた)[4]。周辺の丘陵からは、石炭、鉄鉱石、木材が産出され、産業革命を加速させた。さらに硝子、醸造、繊維、ブリキ板を製造して工業地帯の中心になった。しかし、第二次世界大戦後、工業での重要さがほとんど失われ始め、人口は1940年の39,483人から現在の22,000人足らずまで減少した[5][6]。 カンバーランドはアパラチア山脈のリッジ・アンド・バレー地形の中にあって、座標では北緯39度38分52秒 西経78度45分46秒 / 北緯39.647687度 西経78.762869度 / 39.647687; -78.762869 廃棄されたチェサピーク・アンド・オハイオ運河、現在はチェサピーク・アンド・オハイオ運河国定歴史公園はその西端がカンバーランドにある[4]。この運河の曳舟道は現在も維持されており、徒歩や自転車でカンバーランドからワシントンD.C.の間、距離にして約185マイル (298 km) を通行できる。近年、グレート・アリゲイニー・パッセージと呼ばれる別の道が開発され、ピッツバーグをその西端とすることになる。この合わせて300マイル以上の道の中でピッツバーグとワシントンD.C.を除けば、カンバーランドが唯一人口2万人以上の都市になる。 アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は10.15平方マイル (26.29 km2)であり、このうち陸地10.08平方マイル (26.11 km2)、水域は0.07平方マイル (0.18 km2)で水域率は0.68%である[1]。 カンバーランドはカンバーランド道路の始点であり、その名前の元になった。この道路は1811年に始まって西のオハイオ川ホイーリングまで伸ばされたものであり、最終的にオハイオ州、インディアナ州、イリノイ州まで伸びたナショナル道路の最初の部分だった[4]。 カンバーランド市はカンバーランド・ナローズの東側入口に位置している。これはウィルス・クリーク沿いの水路であり、北のウィルス山と南のヘイスタック山の間の低い標高で、ウィルス山背斜の中央尾根を抜けている。2つの山のタスカローラ層珪岩キャップロックでできた崖と崖錐がナローズの中でも目立っている。これら地質的性状がカンバーランドの西に2つの山の背景とそれらの狭い隙間という景観を与えている。 カンバーランド・ナローズはカンバーランド市から西のアパラチア高原とオハイオ川バレーに進む入口になっている。旧ナショナル道路、現在のアメリカ国道40号線代替路がナローズを抜け、また元ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の本線、現在はCSXトランスポーテーション線の一部になっている線が通り、さらに元ウェスタン・メリーランド鉄道線、現在は蒸気機関とディーゼル機関によるウェスタン・メリーランド景観鉄道の観光列車も運行されている。
歴史
地理
カンバーランド・ナローズカンバーランド・ナローズ、カンバーランド市の西、ウィルス・クリーク沿いにある。左はヘイスタック山、右はウィルス山。岩がちなウィルス山背斜をこの水路を使って容易に超えることができた。ウェスタン・メリーランド景観鉄道(左)、旧ナショナル道路(アメリカ国道40号線代替路、中央、クリークの左)、CSXトランスポーテーション線(右)が通る