カンバーランド教会の戦い
Battle of Cumberland Church
南北戦争中
時1865年4月7日 (1865-04-07)
場所バージニア州カンバーランド郡
ファームビル近く
結果南軍の勝利
衝突した勢力
北軍 南軍
指揮官
アンドリュー・A・ハンフリーズ
ジョージ・クルック
J・アービン・グレッグ[notes 1]ロバート・E・リー
トマス・ロッサー
トマス・T・マンフォード
部隊
第2軍団
ポトマック軍騎兵軍団第2師団北バージニア軍
戦力
12,000名[1]12,000名[1]
被害者数
645名[notes 2]255名[2]
表
話
カンバーランド教会の戦い(カンバーランドきょうかいのたたかい、英: Battle of Cumberland Church)は、南北戦争も最終盤となった1865年4月7日に、バージニア州カンバーランド郡のファームビル近くで起きたアポマトックス方面作戦の戦闘である。北軍ポトマック軍の第2軍団が南軍北バージニア軍と戦った。
4月6日に起きたセイラーズクリークの戦いの後、南軍リチャード・H・アンダーソン中将とジョン・B・ゴードン少将の残存部隊が、アポマトックス川に架かる二重構造の橋、ハイブリッジに向かっていた。この橋は上が鉄道橋、下が荷車用道路橋になっていた。この部隊は川の北岸に渡って、その後に西への撤退を続けようとしていた。南軍はその前の日のハイブリッジの戦いで橋を救うために戦ったが、自軍が渡ってしまったこのときは橋を壊す考えだった。しかし、誤りや遅れが生じたために、北軍アンドリュー・A・ハンフリーズ少将の第2軍団が橋の袂に到着し始めるまで破壊を始められないでいた。ハイブリッジの戦いの第2段階となる小さな戦闘が起きた後、北軍は鉄道橋の全体的な破壊を食い止め、荷車用橋は利用できる形で確保できた。
ハンフリーズの部隊は、南軍の行軍している最後の師団であるウィリアム・マホーン少将の師団を、西へ4マイル (6.4 km)、ファームビルの北3マイル (4.8 km) であるカンバーランド教会まで追撃した。南軍は教会の周りの高台に防御的な配置を始めた。それから間もなく、ジェイムズ・ロングストリート中将の下に残っていた南軍歩兵部隊の全軍がファームビルから来てマホーン隊と合流した。ロングストリート隊はファームビルを発った後に鉄道と荷車の橋を燃やしていた。後に残されていた南軍の騎兵隊と歩兵1個旅団はその近くで川を歩いて渡るしかなかった。
カンバーランド教会に来る途中の戦闘で、トマス・A・スミス准将が致命傷を負った後、北軍のハンフリーズはマホーン隊の直ぐ後で教会近くに到着していた2個師団に南軍の前線を攻撃するよう命じた。ハンフリーズは南軍の陣地があまりに強力でこれを落とせないと判断し、フランシス・C・バーロー准将を呼び戻した。その師団はゴードンの軍団を追って真っ直ぐファームビルに向かっているところだった。ハンフリーズはさらにポトマック軍指揮官のジョージ・ミード少将に、ロバート・E・リーの全軍が川の北にいるという伝言を送った。その南軍全軍と戦うために援軍を送って欲しい旨提案していた。南軍がファームビルの橋を壊していたことを、その時はハンフリーズもミードも知らず、従ってその日の午後に援軍がハンフリーズの元には着かないことが分かっていなかった。