カントリー・ポップ
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カントリー・ポップ
Country pop
様式的起源
カントリー・ミュージック
ポップ・ミュージック
フォークロック
文化的起源1960年代テネシー州ナッシュビル
使用楽器ボーカル
ギター
エレクトリック・ギター
ベース
ドラムス
ペダル・スチール・ギター(英語版)
ドブロ
キーボード
オルガン
関連項目
ナッシュビル・サウンド
カントリーロック
アウトロー・カントリー(英語版)
サザン・ソウル
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カントリー・ポップ (country pop) は、カントリー・ミュージックのサブジャンルのひとつである。
概要

カントリー系の音楽をより広いメインストリームの聴衆に届けようとする取り組みから成立したものである。ポップ・ミュージックによくあるスタイルやサウンドを用いて、カントリーの楽曲を制作することで、カントリー音楽産業は、伝統的なカントリーの聴き手を失うことなく、新たな聴き手を効果的に獲得することができた。こうした取り組みは、1950年代後半にはナッシュビル・サウンドという名で知られ、後にはカントリーポリタン(英語版)とも称された。1970年代半ばには、多くのカントリー歌手たちがポップ/カントリーの折衷的なサウンドへと移行し、一部のレコードは、ビルボード誌のカントリー・チャートのみならず、メインストリームの「トップ40」系のチャートでも上位に進出することがあった。

日本語では、「カントリーポップ」[1][2]、「カントリー・ポップス」[3]、「カントリーポップス」[4]などと表記されることがある。
歴史
起源:ナッシュビル・サウンド

カントリーとポップを結びつける取り組みは、スタジオを取り仕切っていたチェット・アトキンスオウエン・ブラッドリーが、「ロカビリーがカントリー・ミュージックの若い聴衆をあらかた奪い去っていった」後、若い大人のための新しい音楽を生み出そうとしていた1950年代からあった[5]。ビル・アイヴィ (Bill Ivey) によると、この新たなジャンルは、テネシー州ナッシュビルで生まれ、ナッシュビル・サウンドという名で知られるようになった。アイヴィは、フィドルバンジョーの使用をやめたことによって、「ナッシュビル・サウンドでは、カントリーより、ポップ色の強いレコードが制作された」と考えている。当時、このジャンルで最も人気があったアーティストとしては、パッツィー・クライン、ジム・リーヴス(英語版)、エディ・アーノルドらがいた[6]
1970年代/1980年代

1970年リン・アンダーソンが発表した「ローズ・ガーデン ((I Never Promised You a) Rose Garden)」は、1970年から1971年はじめにかけて、ジャンルの境界を越えてカントリー・チャートで首位、ポップ・チャートでも最高3位に達し[7]、「カントリー・ポップの世界的な大ヒット」となった[8]。この曲により、アンダーソンは1971年の第13回グラミー賞で最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞(英語版)を受賞した[9]1973年、当時13歳だったマリー・オズモンドがデビューシングルに選んだのはアニタ・ブライアントの「ペーパー・ローゼズ」であった。オズモンドは同曲をカントリー調にアレンジし、ビルボードのカントリー・チャートで1位を記録した。

後にメインストリームのポップ歌手へと転進した、イギリス生まれオーストラリア育ちのオリビア・ニュートン=ジョン[10]1973年にヒットした「レット・ミー・ビー・ゼア (Let Me Be There)」により、1974年の第16回グラミー賞で最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞し[11]、さらに「愛しい貴方 (If You Love Me (Let Me Know))」などが評価されて、1974年カントリーミュージック協会賞で女性ボーカリスト賞 (Female Vocalist of the Year) を獲得して[12]、最初はまずカントリー・ポップ歌手として有名になった[10]

1970年代半ばからソロ歌手として活動を始めたケニー・ロジャースは、1977年に「ルシール (Lucille)」がカントリー・チャートで首位、ポップ・チャートでも最高5位に達し[13]、以降も同様にカントリー、ポップ両方のチャートに楽曲を送り込み、後には「カントリーポップス界の大御所」とも呼ばれた[4]

また、1960年代からカントリーのチャートで多数のヒット曲を出していたドリー・パートンは、1970年代半ばからジャンルを超えてポップ系の市場にも進出を図るようになり、1977年の「Here You Come Again」がカントリー・チャートで首位5週、ポップ・チャートでも最高3位とジャンルを超えた大ヒットとなった[14]。その後も同様のジャンルを超えたヒットを連発し、カントリー・ポップ歌手と見なされるようになった[3]


ガース・ブルックスシャナイア・トゥエインは、1990年代に最も成功したカントリー・ポップ歌手であった。

1990年代のリバイバル

カントリー・ポップは、1990年代に再び注目を集めるようになったが、これはFMラジオ局におけるカントリー・ミュージックの拡大が始まったことが大きな理由となっており、さらにその背景には1980年代後半において連邦通信委員会 (FCC) が都市郊外や非都市地域におけるFMラジオ局の認可件数を増大させたことや、AM局がトーク・ラジオ(英語版)への傾斜を強めていったことなどがあった。当時、ブームの最中にあった業界の商業的成功は、より広い支持層の獲得を目指す新たなマーケティング戦略の導入とともに、才能あるアーティストたちが台頭したことに支えられていたため、このジャンルはさらにポップ・ミュージックのスタイルへと傾斜を強め、新しいイメージを生み出していった[15]
2000年代/2010年代

2010年代には、テイラー・スウィフトレディ・アンテベラムが成功を収め、いくつものグラミー賞を獲得した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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