カンタータ
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カンタータ(: cantata、: Kantate、: cantate、交声曲)とは、単声または多声のための器楽伴奏付の声楽作品をいう。元来は動詞「歌う(cantare)」の分詞形であり、「歌われるもの」を意味する。典型的なカンタータは、17世紀後半にイタリアで作曲された、レチタティーヴォアリアからなる独唱通奏低音のための歌曲であり、18世紀前半のドイツでは、コラールを取り入れた教会カンタータが、18世紀のフランスでは一人または数人の歌手と通奏低音のほか、しばしば小編成の器楽を伴う世俗カンタータが数多く作曲されている。一方、19世紀以降、カンタータは合唱管弦楽のための多種多様な作品を表すものとなった。
18世紀までのカンタータ
イタリア

カンタータという名称が付された最初の音楽作品は、今日知りうる限り、1589年シェーナ[要曖昧さ回避]で出版された、チェーザレ・デステとヴィルジニア・デ・メディチの結婚式のための『カンタータ・パストラーレ(Cantata pastorale)』である。最初期のカンタータは様式的に確立しておらず、エレアノール・カルオーリは、1670年頃までのカンタータを、単一のアリアからなる「アリエッタ・コルタ(arietta corta)」と、歌詞に応じてアリアとレチタティーヴォが使い分けられる「アリエッタ・ディ・ピウ・パルティ(arietta di piu parti)」とに分類している。実際、アレッサンドロ・グランディ(1575年頃 - 1630年)やルイジ・ロッシ(1597年頃 - 1653年)が作曲したカンタータの多くは、モノディ様式による有節変奏形式の作品である。これに対して、ジャコモ・カリッシミ1605年 - 1674年)やアントニオ・チェスティ1623年 - 1669年)が作曲したカンタータになると、一般に複数のアリアを含み、レチタティーヴォ、アリオーソ、アリアの区別が明確になっており、レチタティーヴォにおいては、歌詞の盛り上がりとともに叙情的になり、アリオーソへと移行する。

当時のイタリアにおけるカンタータは、擬人化された魂や肉体が登場する倫理的な作品もあるが、大半は牧歌的ないし歴史的題材による恋愛を扱ったものであり、オペラの一情景に似ていたが、演技等を伴うことはなく、音楽・歌詞のいずれにおいてもより親密な雰囲気を有していた。カンタータ作曲の中心となったのはローマであり、多くは高い鑑賞能力をもった少数の貴族階級のパトロンのために演奏されることを目的として作曲され、広いオペラ劇場では失われがちな洗練された趣味と、時に実験的な要素を含むものであった。

17世紀末から18世紀初頭にかけて、イタリア音楽全般を通して形式化が進展し、主題の有機的な使用や近代的な調体系が明確に意識されるようになるのとあわせて、カンタータにおいても、レチタティーヴォとアリアが一段と区別され、アリアは拡大されて独立した楽章となる。こうした展開は、アレッサンドロ・ストラデッラ1644年 - 1682年)等によってすすめられ、アレッサンドロ・スカルラッティ1660年 - 1725年)の作品において典型的に示される。スカルラッティが作曲した約600曲のカンタータのうち、約500曲はソプラノ独唱と通奏低音のための作品であり、初期のカンタータにおいては先行する世代の作曲家の影響を残しているが、1703年からの第2次ローマ時代に作曲したカンタータでは、2曲のダ・カーポ・アリアの前にそれぞれレチタティーヴォを伴う楽章編成が基本となり、これが18世紀を通して世俗カンタータの標準的な様式となる。さらに、晩年に作曲したカンタータでは、半音階的和声と大胆な転調による豊かな表現が追求され、ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェンによって「法外かつ非常識な和声」と評されるまでになる。

スカルラッティの没後、室内カンタータの作曲は、ジョヴァンニ・ボノンチーニ1670年 - 1747年)、レオナルド・ヴィンチ1690年 - 1730年)、レオナルド・レーオ1694年 - 1744年)等に引き継がれるが、ヴィンチやレーオのカンタータにおいては、4声の弦楽合奏と通奏低音による伴奏が一般的となり、18世紀の後半に至ると、オペラにおけるシェーナとアリアとほとんど区別がなくなって、独立した形式は失われることとなった。
ドイツ

バロック時代のドイツにおけるカンタータは、主に宗教音楽の分野で発展した点においてイタリアとは事情を異にしている。ドイツにおける教会カンタータは、狭義においては、教会音楽にマドリガーレ様式の自由詩を採用したエールトマン・ノイマイスター(1671年 - 1756年)とその後継者による歌詞にもとづく作品をいうが、今日では、プロテスタント教会の礼拝において演奏された複数の独立した楽章からなる声楽曲として、17世紀に作曲された宗教作品も含めることが一般的である。

17世紀における古いタイプの教会カンタータは、主に聖句にもとづく声楽と器楽のためのコンチェルト、有節形式によるアリアおよびコラール編曲を構成要素としている。これに対して、ノイマイスターは、当時のオペラを範として、脚韻が不規則で行の長さも一定しない、いわゆるマドリガーレ様式のレチタティーヴォとダ・カーポ・アリアを採用し、作品に応じてこれに聖句やコラールの詩節を組み合わせた新たな宗教詩を創作する。ノイマイスターが1700年から1717年にかけて出版した『5周年分の教会礼拝用歌詞集(Funffache Kirchen-Andachten)』は、ヨハン・フィリップ・クリーガー1649年 - 1725年)、フィリップ・ハインリヒ・エルレバッハ1657年 - 1714年)、ゲオルク・フィリップ・テレマン1681年 - 1767年)等によって曲が付された。18世紀前半には、こうした新しいタイプの教会カンタータが大量に作曲されており、代表的な作曲家としては、1000曲以上の作品が現存するゲオルク・フィリップ・テレマン、クリストフ・グラウプナー1683年 - 1760年)のほか、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ1685年 - 1750年)、ゴットフリート・ハインリヒ・シュテルツェル1690年 - 1749年)等がいる。

一方、ドイツにおいても、17 - 18世紀を通してドイツ語イタリア語による独唱用の世俗カンタータが作曲されたが、これらの作品は、イタリアのカンタータのより直接的な影響のもとにあった。また、バッハの世俗カンタータのように、都市や宮廷の祝典のために作曲された複数声部のための作品も存在するが、この種の作品は、当時はむしろ「セレナータ(serenata)」、「音楽劇(dramma per musica)」等と呼ばれることが通例であった。


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