カンタベリーピルグリム
[Wikipedia|▼Menu]

カンタベリーピルグリム
カンタベリーピルグリムとその産駒セントヴィクトリーン
欧字表記Canterbury Pilgrim
品種サラブレッド
性別
毛色栗毛
生誕1893年[1]
死没1917年[1]
父トリスタン
母ピルグリメイジ
生国 イギリス
生産者Duchess of Montrose[1]
馬主第16代ダービー伯爵[1]
調教師ジョージ・ラムトン[1]
競走成績
生涯成績10戦4勝
獲得賞金6,470ポンド
テンプレートを表示

カンタベリーピルグリム(: Canterbury Pilgrim、1893年 - 1917年)は、イギリス競走馬繁殖牝馬である。イギリスオークスに優勝するなどのほか、繁殖牝馬としてチョーサースウィンフォードを送り出した。2歳下の半弟にダービー馬ジェッダがいる。
経歴
出自

モントローズ公爵夫人キャロラインによって生産された牝馬で、1893年に夫人の持つニューマーケットのセフトン牧場で誕生した[1]。夫人は1894年に没したが、その息子は牧場の相続に興味を示さず、地所などを売却した。当初はシンジケートに売却されたその資産は、その後第16代ダービー伯爵にほぼそっくり売り渡されている。カンタベリーピルグリムを含む牧場生産の1歳馬は、7月のニューマーケットでのセリ市にかけられ、中には4100ギニーで落札された幼駒もいた一方で、カンタベリーピルグリムには当初誰も手を挙げず、そこに公爵夫人のマネージャーであったジョン・グリフィスがダービー伯爵に購入を持ち掛け、結果1800ギニーで落札された[1][2]

調教師としてカンタベリーピルグリムを預かったのはニューマーケットのジョージ・ラムトンであった[3][4]。ラムトンは同馬を「どちらかというと小柄で、背中と腰はきれいで、でも首は短くて、体高はとても低かった。しかし最高の脚を持っていた」と評している[1]

馬名は母ピルグリメイジ(巡礼の意、2000ギニー1000ギニー勝ち)から連想して「カンタベリー大聖堂の巡礼者」という意味で名付けられた。
競走馬時代カンタベリーピルグリムの馬主・第16代ダービー伯爵

1895年にデビューするが、2歳時は4戦全敗とまったく良いところを見せられなかった。デビュー戦は9月10日のドンカスター競馬場で行われたシャンペンステークスで、カンタベリーピルグリムは7頭中最下位に沈んだ[5]。続く10月10日のニューマーケット競馬場でのプレンダーガストステークスでも4頭中の最下位に敗れている[6]リバプールで11月前半に行われたハンデキャップ戦のノーズリーナーサリーステークスでは奮戦し、斤量104ポンドを味方に3着に食い込んだが[3][4]、年内最終戦となった11月14日のチェスターフィールドナーサリーステークスでも着外に終わった[7]

この状況を覆すために、ラムトンは調教師ロバート・ペックのアドバイスを受け、カンタベリーピルグリムをステイヤーにするべく調教方法を方針転換、オークスを目標とした。蹴癖や咬癖があるため調教は困難であったが、体つきは小さいままながらも筋肉質になっていった[1]。オークスでは1000ギニー優勝馬のタイスが断然の人気で、カンタベリーピルグリムのオッズは100/8(13.5倍)と穴人気であった。カンタベリーピルグリムは先頭を走るタイスの後ろにつけて進み、最後の直線でタイスを猛追、残り1ハロンのところでカンタベリーピルグリムが追い抜いて、結果2馬身差をつけて優勝した[4]。なおオークスは、16代ダービー伯の曾祖父にあたる12代ダービー伯ダービーステークスとともに創設し、1779年第1回をブリジット (Briget) で勝利したものである。16代伯の父でイギリス首相を3度務めた14代ダービー伯も、1851年アイリス (Iris) の馬主として優勝しており、カンタベリーピルグリムの勝利は、馬主親子の45年ぶり制覇となった。

オークスから12日後、カンタベリーピルグリムらはコロネーションステークスに出走した。この競走でカンタベリーピルグリムは1番人気に支持されたが、逃げている途中で失速し、4着に敗れた[8]。その翌戦にはリバプールサマーカップで古馬や牡馬相手に戦い、103ポンドの軽斤量を味方につけてこれに勝利した[9]

ドンカスター競馬場でセントレジャーステークスと同日に行われたパークヒルステークスにカンタベリーピルグリムは出走し、1番人気に応えて2馬身差の勝利を挙げた[10]。10月28日のケンブリッジシャーハンデキャップにも出走したが、113ポンドを課され、着外に敗れた[11]。その翌日には同じ競馬場でジョッキークラブカップに出走、20/21(約1.95倍)という断然のオッズをつけられた[12]カンタベリーピルグリムは、牡馬を相手にしながらこれを15馬身差で楽勝した[13][1]。この年までに10戦4勝、その後ダービー伯爵の牧場に引退した[1]
繁殖牝馬時代

この頃のダービー伯爵家は競馬界からやや遠のいており、第16代ダービー伯爵が競馬界への再帰を期して購入した馬の1頭が、このカンタベリーピルグリムであった。後の大馬産家として知られる第17代ダービー伯爵も同馬を受け継ぎ、10頭の仔馬を産ませている。このため、第17代ダービー伯爵の生産馬の多くがカンタベリーピルグリムの血を受け継いでいる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef