カンコンキンシアター
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カンコンキンシアター
Kankonkin Theater
イベントの種類
お笑いライブ・フェスティバル
通称・略称カンコンキン
正式名称カンコンキンシアター
開催時期毎年春開催
初回開催1989年6月3日 - 6月6日
会場博品館劇場
主催浅井企画、全栄企画
企画制作浅井企画、全栄企画
プロデューサー関根勤、石塚仁基
博品館劇場への交通アクセス
最寄駅新橋駅 出口1より徒歩3分、銀座駅 A2出口より徒歩5分
駐車場なし
公式サイト
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カンコンキンシアターは、関根勤が座長を務めるナンセンス軽演劇集団とその公演である。1989年6月3日旗揚げ。第4回(1990年)以降は毎年8月、第34回(2023年)以降は毎年4月に上演される。
概要

「カンコンキン」という名称が「関根勤」をすべて音読みしたものであることからもうかがえるように、関根自らが構成・演出を行っている。歴代の男性出演者は関根の古くからの友人や所属事務所である浅井企画の後輩芸人、女性出演者は座長の娘である関根麻里を除き、オーディションの合格者、または関根らがスカウトした者で構成されている。

当初は各回ごとにタイトルがつけられていたが、第6回公演からはタイトルが『クドい!』(第33回公演は『クドい!R』)に統一され、各回ごとのサブタイトルがつけられている。

劇団の形式は採っているが、正確には「夏の公演の為に毎年春の企画会議?千秋楽までの間に集まる軽演劇集団」であり、基本的には各団員個人の活動は劇団内の範疇では規制されていない。そのため、2001年のルー大柴のように別の舞台公演とのダブルブッキングも容認されている。

内容は、関根が2009年3月まで27年半出演したラジオ番組『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ)にも通じる、「意味ねぇ、くだらねぇ」の極致をいったナンセンスでマニアックなコントの連続である。本公演では、それに輪をかけたくだらなさ、お下劣さを醸し出しており、劇団パンフレット「軍人魂」において「客に突っ込まれるスキのある、日本唯一の劇団」と自虐している。テレビ・雑誌等では見られない「ウラ関根」ワールドが全開になった公演であり、内容にメッセージ性といったものは全くなく、ただひたすら笑いに特化している。

かなり観る人を選ぶ公演であるため、当初はチケットも余ることがあったが、2000年頃よりネット発売後30分足らずで完売するほどの人気を博し、ネットオークションでの法外な高額取引やそれを見越した転売目的での買い占めなどが起こっていた。また、明石家さんまタモリ藤井隆[1]草g剛[2]等の有名人も観劇している。 特にさんまは毎年観劇しており、団員に内容をダメ出ししている[3]飯尾和樹は「さんまさんは難しいことは言わないが、翌日その通りにやるとしっかりウケる」と証言している[4]。タモリは『カンコンキンシアター』を「世界一好きな舞台」と高く評価している[5]

2014年に製作のアトリエ・ダンカンが倒産し、興行運営権は全栄企画に渡った。

2018年上演の第32回公演『クドい! THE LAST MESSAGE』をもって、第6回公演から続けられてきた『クドい!』シリーズを終了することになった。『クドい!』終了の理由として、関根は「平成元年(1989年)に旗揚げして、その平成も来年(平成31年=2019年)で終わる。我々もいい歳なので、いつかは『カンコンキン』が終わることもある」と観客に備えてもらいたいことを挙げた[6]

2019年上演の第33回公演は『クドい!R』(クドい!アール)と題して行われた。Rには、令和R指定、リボーン、リトライなどの意味があるとしている[7]

2020年は、新型コロナウイルス感染拡大が収まらない状況から、旗揚げ以来初めての公演中止となった[8]。また、2021年、2022年も依然として新型コロナウイルス禍が収まらない状況から、3年連続での公演中止となった[9][10]

2023年に、約4年ぶりとなる公演が行われた。タイトルは以前の『クドい!』が復活、開催時期はこれまでの8月上旬から4月下旬に変更された[11]

第33回公演までは全て赤字で主催の浅井企画が負担していたが[注 1]、第34回より企画制作がクオーレから全栄企画に移り、主催が関根勤と全栄企画となり黒字化した。関根は自身のYouTubeチャンネルにて、本公演が黒字化したことでラッキィ池田に初めて振付料を支払えたと告白している[12]
会場

第1回は東京都台東区浅草常盤座[注 2]、第2回と第3回は東京都渋谷区代々木スペース・ゼロにて上演された。第4回から第22回公演までは、東京都新宿区歌舞伎町シアターアプルを会場としていた。また、第5回から第7回公演までは、大阪、名古屋、横浜、千葉での公演も行われた。

関根がラジオ番組『コサキンDEワァオ!』で度々告知していたことにより、コサキンリスナーの間ではシアターアプルのチケット予約電話番号は「サニオクオニニニ」という合言葉で知られていたが、2007年からコマプロダクションでの販売に統括されたため、アプルでの窓口販売は終了し、件の番号も問い合わせに使われるのみとなった。2008年12月末をもって、新宿コマ劇場、およびシアターアプルを含めた併設施設が閉鎖される事になったため、同年に行われた第22回公演がシアターアプルでの最終公演となった。

第23回から第32回公演までは、東京都新宿区百人町新大久保)の東京グローブ座を会場としていた。新会場の発表時、22時までしか劇場が使用できないため、今までのような公演ができないことも明らかにされた。そのため時間内に収められるように団員をリストラ、特に旗揚げメンバーが関根とラッキィだけとなり、定番であったホモコント、漁火兄弟、あぁ剛州などが無くなった。

第33回公演からは、東京都中央区銀座博品館劇場を会場としている。同劇場でも、劇場側の都合により夜公演での上演時間は約2時間半と短縮され、さらなる演目の整理削減がされている。
旗揚げまでの経緯

関根は1984年6月に渋谷区のスタジオ・ダック[注 3]で「芸能生活9周年記念」と銘打って、初の座長公演『回転海老家族』を行う(2日間4公演)。この企画のきっかけは1982年、当時小さな劇団に所属していたラッキィ池田が、友人の鈴木晋介と共に観に行ったイベントで、小堺一機と関根[注 4]が演じるコントに遭遇し、特に関根の不条理なギャグに惹かれるものを感じた2人が、そのイベントに出演していた友人のダンサー・五十嵐薫子を介して関根とコンタクトを取ったことによる[13][14]

関根原案、鈴木演出の『回転海老家族』にはラッキィ(「かにめ新一」名義[15])と鈴木の他、剛州など後の『カンコンキンシアター』旗揚げメンバーの何人かも参加しており[注 5][15]、内容面では「誘拐された家族を助けに行く」という現在の舞台に比べるときちんとしたストーリー仕立てにはなっているものの、既にナンセンスコメディを目指すというスタイルは確立されていた。

このころから関根はTV出演の増加で忙しくなっていったこともあり、『回転海老家族』再演の機会はなかったものの、彼は舞台の面白さに目覚めるのと同時に、自身の目指す「くだらねぇ」ナンセンスコメディーが一般にも受け入れられるという手ごたえを感じていた。また1985年の夏から、関根は小堺が始めた公演『小堺クンのおすましでSHOW』に共に出演するようになった。そしてショウビジネスを志向する自らの世界観を舞台公演として実現した小堺と同じように、関根も自身の目指す世界観を舞台で披露する機会を作ろうと考えるようになる[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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