カロム
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キャロムで遊ぶイエメンの子供達

カロム(carrom)は、ビリヤードに類似した器用さを競うデクステリティー系統のボードゲームで、2人、もしくは2人がペアとなって4人で対戦する。特定のエリアからストライカー(打ち玉)を手の指で弾いて、盤上に並んだストライカーと同じ色の偏平な円筒形のパック(玉)をコーナーにあるポケット(穴)に全部入れた後、先にジャック(王将)を入れることを競うゲームである。キャロム、カルーム、カルム、カラム、カロン、カイラム、カイルム(アラビア語)、ファッタ(パンジャーブ語)、クロンヌ、フィンガービリヤードなど、さまざまな名称で呼ばれている。
歴史

カロムは、18世紀のインドを統治していたマハーラージャによって遊ばれるようになったと考えられている。パンジャーブ州パティアーラの宮殿にはガラス製の盤が現存する。スリランカパキスタンネパールバングラデシュモルディブアフガニスタンおよび中東の周辺国においてポピュラーなゲームである。インド系移民によってヨーロッパやアメリカにも持ち込まれ、各地に伝播するなかで様々なローカルルールが派生した後、1988年10月にインドのチェンナイで国際キャロム連盟(ICF)が設立され、統一ルールが制定された。発祥地として、エジプトエチオピアイエメンミャンマー、バングラディシュという説もあるがいずれも根拠に乏しい。

日本へは明治末期に伝来している。彦根市からカナダへ移民した人々が、現地のフランス系カナダ人の間で流行していたボードゲーム「ピシュノット」を郷里へ持ち帰り伝えたものと考えられる。彦根市は地場産業として仏壇作りが盛んな地域で、その技術を活かしてカロム盤が製造された。そのため、彦根市を中心とする滋賀県湖東湖北地域では、主に正月地蔵盆の頃によく遊ばれるようになった。1913年(大正2年)の墨書き入りで、日本最古と言われる60cm角のカロム盤が彦根市の門脇直也実家に保管されており、ポケットは現在の円形とは異なる三角形で、当時の価格は1円20銭(現在価値に換算すると約3万円)であった。

1905年(明治38年)に滋賀県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日し、その後、日本国籍を取得するウイリアム・メレル・ヴォーリズが、アメリカ製キャロム(チェッカーボードが描かれ、4色のパックがあったとの証言が残されている)を米原町のYMCAに持ち込んでいる。

1909年(明治42年)に美満津商店が、「ポケツト玉ハジキ(カロム)」としてチェッカーボードの描かれた盤を販売している。このボードは、1917年(大正6年)に美津濃が発行した商品パンフレットにも「ポケット玉ハヂキ 一名カルム」として掲載されている。

1933年(昭和8年)創業のはなやま玩具が、アメリカのキャロム社の製品を模造しており、このキャロムが、1957年(昭和32年)から始まる南極地域観測隊のレクリエーション用具として納品され、南極昭和基地やそこへ向かう長期航路の退屈しのぎとして、付属ルールとは差異のある「南極ルール」で遊ばれた[1]。1974年(昭和49年)には、エポック社が「アメリカンスナップ」という類似商品を販売している。

1935年(昭和10年)頃から、岩手県の盛岡市花巻市、岩手郡雫石町では「闘球盤(投球盤)」という名称で地元の木工所が製造販売している。

京都市南区や下京区の児童館で親しまれている「オニム」というボードゲームがあり、カロムと類似したルールで、終戦直後から遊ばれるようになったという。オニムでは90cm四方の盤を使用する。

1988年(昭和63年)8月28日、第1回カロム日本選手権大会が彦根市で開催された。当時、彦根市のほとんどの地域では「カルム」または「カラム」と呼んでおり、地元の中野木工所が製造する盤にも「カルム」と表記されていた。高宮町だけが「カロム」と呼んでいたが、日本選手権開催にあたり『日本国語大辞典(小学館)』に「カロム」と掲載されていたことから「カロム」を採用することとなった。以降、カロム日本選手権大会は毎年継続して開催されている。1998年(平成10年)11月29日、彦根青年会議所によって日本カロム協会が設立された。昭和30年代は、75cm角の大型盤が主流であったが、日本選手権大会では、公式盤として62cm角を採用している。2010年(平成22年)7月16日、彦根青年会議所がカロムのイメージキャラクターを公募して、子供の部は160点の応募の中から「カロムット兄姉」(南川瀬町在住・小林瑠璃)、大人の部は367点の応募の中から「カロム王子」(稲部町在住・山本ゆう子)が選出された。

2006年(平成18年)、カロムの全国普及を目的として、全国カロム普及振興会(略称NCS)が設立された。

2011年(平成23年)4月7日、東日本大震災の経済復興を目的にいわき市の企業5社による共同プロジェクトで「みんなともだちカロム」が製作される。2012年(平成24年)9月16日、このカロム盤を使用した第1回C1カロムグランプリ全国大会が開催された。

2014年(平成26年)11月1日、彦根市にある丸松木材が、関ヶ原の合戦の屏風絵をカロム盤に、東西両軍武将の家紋や旗印をパックにプリントした「戦国カロム」を製造販売している。

2018年(平成30年)11月23日、ティーエンターテイメントが、プラスティック製で現代風にアレンジを加えた「スーパーカロム」を製造販売している。

2019年(令和元年)5月25日、「みんなともだちカロム」が、NPO法人芸術と遊び創造協会のグッド・トイ2019を受賞。
ルール
彦根カロムキャロムのボード

2色のパック(各色12個ずつ)をセンターサークル上に交互に配置して、中央のジャックスポットに2色の円が描かれたジャック(王将)を配置する。

シングルス(2人)の場合は、対戦相手と向かい合って座る。ダブルス(4人)の場合は、向かい合った2人がペア(味方同士)となる。じゃんけんをして、勝った側が先攻として赤色、負けた側が後攻として緑色を担当して、各々が同色(赤・緑)の円が描かれたストライカー(打ち玉)を受け持つ。じゃんけんに勝った人が座る場所を決める権利を有する。

ダブルスにおいては、味方と相談したりアドバイスを受けることができる。自身のエリアライン内側にあるパック(どちらの色でも)やジャックをストライカーで直接打つことができないという特別ルールが適用される。ただし、エリアラインにかかったパックやジャックを直接打つことは認められており、エリアライン外側にあるパックやジャック、もしくはエリアライン外側(自分から見て側面や正面)のフレーム(壁)にストライカーを一旦当てることで、間接的にエリアライン内側のパックを打つことは認められている。パックは面取りされていることが多いため、エリアラインに触れていなかったとしても真上から見てかかっていればオンラインと判定される。このルールに違反して、エリアライン内側にあるパックやジャックを直接打ってしまった場合にはペナルティを受け、対戦相手がパック1個をジャックスポットへ戻し、さらに動いてしまったパックやジャックをできるだけ元の位置へ戻した上で、手番を時計回りで交替して、さらに次にこのプレイヤーの手番が来ても飛ばされる。

両手を同時に使ってストライカーを打つことは禁止されているが、ショットごとに左右の手を使い分けて打つことは認められており、どの指を使って弾いても構わないが、手首の位置が移動する、突き出しや押し出すような打ち方は禁止されている。


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