カレン州
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カレン州
(MLCTS
: ka.yang pranynai)

州都パアン
地域南部
面積30,383 km2
人口1,431,377
民族カレン族パダウン族ビルマ族シャン族、パオ族(英語版)、モン族ラカイン族
宗教仏教キリスト教アニミズム

カレン州(カレンしゅう、???????????)は、ミャンマーの行政区画である。

カレン州 (Karen State) は旧称で[1]、現在の州名はカイン州 (Kayin State) である。ビルマがミャンマーと改名されたのと同じ1989年に改名された。

州都はパアン
歴史

現在のカレン州を形成する地域は、11世紀中頃のパガン王朝の成立以来、歴代のビルマの王国の版図に含まれていた。13世紀から16世紀にかけて、領域のほとんどが下ビルマペグー王朝に属していた一方で、北部は上ビルマシャン族が建国したアヴァ王朝の属国だったビルマ族タウングー王朝に属していた。16世紀から19世紀にかけて、上ビルマ下ビルマがともにタウングー王朝に統一されるとカレン州全域が属領となり、タウングー王朝が衰亡するとコンバウン王朝に属していた。第一次英緬戦争(英語版) (1824-1826)の後、サルウィン川以南のカレン州の1/3の領域が大英帝国の支配下に入り、残りの領域も1852年第二次英緬戦争(英語版)以後、植民地化された。

英国植民地時代の末期 (1945年 - 1948年) にかけてカレン族指導部は、イギリス領インド帝国ビルマ州内の今日のカレン州・モン州の大半・タニンダーリ地方域をカバーする分離州を主張した。彼らは1947年ビルマ憲法(英語版)の為の基礎であった1947年2月のパンロン協定(英語版)への署名を拒否し、1947年4月の独立前選挙を拒否した。[2] それにも拘らず、憲法はカレン州を認めた。もっともカレン族指導部がイギリスからの分離を希望した領土より少ない面積だったが。憲法は10年後のビルマ連邦からの独立権も保障した。(パンロン協定はシャン族とカチン族に州を与えるものである;実際、署名をしたチン族(英語版)には州が与えられなかった。) カレン指導部の多数派であるカレン民族同盟(KNU)はこれに満足せず、完全な独立を要求した。1949年、KNUは、今日まで続いている武力闘争を開始した。[3] KNUは1月31日を「Inseinの戦い」で地下活動に入った日を記す「革命日」として祝っている。

その時以来、州のほぼ全域が戦場となっている。民間人は戦争を矛盾と受け取っている。今日、KNUは世界で最も長く行われているレジスタンスを組織している。1989年ミャンマー軍事政権は、州の英語名をカレン州からカイン州へ変更した。
2010年総選挙「2010年ミャンマー総選挙」も参照

2010年総選挙の際にはカレン州から3政党が立った。その選挙の結果、カレン人民党(KPP)が6席、パロン・サウォ民主党(PSDP)が9席、カレン州民主発展党(KSDDP)が2席を獲得した[4]
地理

ミャンマー南部に位置し、マンダレー地方域シャン州カヤー州バゴー地方域モン州タイ王国メーホンソーン県ターク県)に接する。
隣接行政区画

マンダレー地方域

シャン州

カヤー州

メーホンソーン県

ターク県


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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