カルヴァン・フィックス
[Wikipedia|▼Menu]

カルヴァン・フィックス
Calvin Fixx
生誕Calvin Henry Fix
(1906-08-01)
1906年8月1日
アメリカ合衆国アイダホ州ライマン
死没1950年3月3日(1950-03-03)(43歳)
アメリカ合衆国ニュー・ジャーズィー州アトランティック市
国籍アメリカ
出身校ワシントン大学
職業作家、雑誌編集員、ジャーナリスト
活動期間1926年 - 1950年
雇用者タイム社
団体タイム社
配偶者Marlys Virginia Fuller Fixx (1906年 ? 2004年)
子供ジム・フィックス
テンプレートを表示

カルヴァン・フィックス(Calvin Fixx, 1906年8月1日 ? 1950年3月3日)は、アメリカ合衆国ジャーナリスト作家、雑誌編集員である。『タイム誌』(Time Magazine)の編集者仲間、ロバート・キャンウェル(Robert Cantwell)、ウィテカー・チェインバース(Whittaker Chambers)とは生涯に亘って友人同士であった。彼ら3人は、1920年代から1930年代にかけて共産主義を信奉していたが、1939年反共主義に転向した[1][2][3]

1950年心臓発作で亡くなった。
生い立ちアバディーンの風景

1906年8月1日アイダホ州ライマン(Lyman)にて、父ヘンリー・マーティン・フィックス(Henry Martin Fix, 1883 - 1971)と、母マギー・プリスラ・スミス・フィックス(Maggie Priscilla Smith Fix, 1888?1958)の間に生まれた[1][3]。生誕時の名前は「Calvin Henry Fix」。

ワシントン州アバディーンにある高校に通い、そこで生涯の友人となるロバート・キャンウェルと出会う。アバディーンにある実務専門学校に短期間通ったことがある[3]

フィックスとキャンウェルは、「ニューヨークへの逃亡」を夢見ていたという[4][5]
経歴1929年10月29日、ウォール街での大暴落で、証券取引所の外に集まった群衆

1927年、フィックスはヒッチハイクを利用して州を跨いでニューヨークへと向かった。グリニッチ・ヴィレッジ(Greenwich Village)にある書店で非常勤で働きつつ、自由契約で書評を書いたり、作家のライル・サクスン(Lyle Saxon)の秘書として働いた[6]。このとき、フィックスは「動詞は名前にはなりえない」との理由から、自身の苗字である「Fix」に「x」の文字をもう1つ付け加えた。フィックスはロバート・キャンウェルの代理人の内定を得てその役目を務めるようになり、キャンウェルの初の短編小説の出版を手伝った。1929年、フィックスはキャンウェルに対して「ニューヨークへ来ないか」と働きかけ、グリニッジ・ヴィレッジにある共同住宅で暮らした[3][4][5]

1936年、フィックスは、ロバート・キャンウェル、ロバート・フィッツジェラルド(Robert Fitzgerald)、ジェイムス・アギー(James Agee)とともにタイム社に入社した[1][3][6][7][8]

1939年の初頭、フィッツジェラルドがタイム社を辞職。この年の4月、ヘンリー・ルース(Henry Luce)がチェインバースを雇い、フィックスはチェインバースとともに書籍部門に配属となった[9][10]

1940年、作家のウィリアム・サローヤン(William Saroyan)は、自身の戯曲『Love's Old Sweet Song』の中で、カルヴァン・フィックスをタイム誌の「寄稿編集者」の1人として挙げた[11]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef