カルロ2世
Carlo II d'Angio
ナポリ国王
在位1285年 - 1309年
別号シチリア王(名目上)
プロヴァンス伯
アンジュー伯
アカイア公
出生1248年/1254年
死去1309年5月5日
ナポリ王国、ナポリ
埋葬 ナポリ王国、サンタ・キアラ聖堂
配偶者マリア・ドゥンゲリア
子女一覧参照
家名 アンジュー=シチリア家
王朝ナポリ・アンジュー朝
父親シチリア王カルロ1世
母親ベアトリス・ド・プロヴァンス
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カルロ2世の紋章
カルロ2世(イタリア語: Carlo II d'Angio, 1248年/1254年 - 1309年5月5日)は、ナポリ王(在位:1285年 - 1309年)。シチリア王カルロ1世(シャルル・ダンジュー)と最初の妃ベアトリス・ド・プロヴァンスの子。 1282年、父カルロ1世がシチリア晩祷戦争でシチリアを追われると、父と共にナポリに逃亡してアラゴン王ペドロ3世と戦う。しかし1284年、アラゴン海軍と戦って敗れて捕虜となった。 1288年、シチリアを完全放棄するという条件で釈放され、既に没していた父の跡を継いでナポリ王として即位する。しかし父以来の宿願であるシチリア奪還を諦めず、1289年には巧みな政治工作でローマ教皇ニコラウス4世からシチリア王として戴冠を受けた。また、妃であるハンガリー王イシュトヴァーン5世の娘マーリアとの間の長男カルロ・マルテッロを神聖ローマ皇帝ルドルフ1世の娘クレメンツィアと結婚させた上、ハンガリー摂政を名乗らせて同国の王位継承争いに介入した(カルロ・マルテッロは1295年に23歳で死去したが、後にその息子のカルロ・ロベルトがハンガリー王カーロイ1世となる)。 こうした情勢を背景にして、ペドロ3世の三男のシチリア王フェデリーコ2世と戦ったが、シチリアを奪還することはできず、1295年に次女ビアンカをアラゴン王ハイメ2世(ペドロ3世の次男でフェデリーコ2世の兄、当時シチリア王を兼ねた)と、1297年に三男ロベルトをフェデリーコ2世の妹ビオランテと、1302年に三女エレオノーラをフェデリーコ2世とそれぞれ結婚させ、アラゴン家との和平を図っている。 カルロ2世は父からアカイア公国も継承したが、自身がシチリア王として戴冠した1289年に弟フィリッポ(1277年没)の未亡人であったイザベル・ド・ヴィルアルドゥアンがラテン帝国継承者の近親フロラン・ド・エノー
生涯
1309年にナポリで死去し、三男ロベルトが王位を継承した。 1270年にハンガリー王イシュトヴァーン5世の娘マーリア(1257年頃 - 1323年)と結婚した。なお、マーリアの弟ラースロー4世がカルロ2世の妹イザベッラと結婚している。マーリアとの間には14子が生まれた。
家族
カルロ・マルテッロ(1271年 - 1295年) - アンジュー=ハンガリー家の祖
マルゲリータ(マルグリット、1273年 - 1299年) - ヴァロワ伯シャルル(ヴァロワ家の祖)と結婚
ルドヴィコ(ルイ、1274年 - 1297年) - トゥールーズ司教、聖人
ロベルト(ロベール、1277年 - 1343年) - ナポリ王
フィリッポ(フィリップ、1278年 - 1331年) - アンジュー=ターラント家の祖、アカイア公、ターラント公
ビアンカ(ブランシュ、ブランカ、1280年 - 1310年) - アラゴン王ハイメ2世と結婚
ライモンド・ベレンガリオ(レーモン・ベレンゲール、1281年 - 1307年) - プロヴァンス伯
ジョヴァンニ(1283年 - ?)
トリスタノ(1284年 - ?)
エレオノーラ(エレオノール、1289年 - 1341年) - シチリア王フェデリーコ2世と結婚
マリア(1290年 - 1346年頃) - マヨルカ王サンチョ1世
ピエトロ(1291年 - 1315年) - グラヴィナ伯
ジョヴァンニ(1294年 - 1336年) - アンジュー=ドゥラッツォ家の祖、ドゥラッツォ公、アカイア公、グラヴィーナ伯
ベアトリーチェ(1295年 - 1321年) - 1305年4月にフェラーラ侯アッツォ8世・デステ
先代
カルロ1世ナポリ王
プロヴァンス伯
1285年 - 1309年次代
ロベルト
先代
シャルル1世アンジュー伯
1285年 - 1290年次代
マルグリット1世
シャルル3世
先代
シャルル1世アカイア公