カルロ・レーヴィ
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カルロ・レーヴィ
カルロ・レーヴィ、1947年
(カール・ヴァン・ヴェクテン撮影)
誕生日 (1902-11-29) 1902年11月29日
出生地 イタリア王国トリノ
死没年1975年1月4日(1975-01-04)(72歳)
死没地 イタリアローマ
国籍 イタリア
運動・動向近代美術と現代美術
芸術分野絵画、文学、医学
教育独学, トリノ大学 (博士号)
代表作Gli amanti (恋人たち) (1955)
受賞イタリア共和国上院議員
後援者フェリーチェ・カゾラーティ
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カルロ・レーヴィ(Carlo Levi(イタリア語発音: [?karlo ?l??vi])、1902年11月29日 - 1975年1月4日)は、イタリアユダヤ人画家作家活動家反ファシスト医師
代表作

反ファシズム活動に参加し逮捕され、政治犯として南部ルカニア地方に流刑に処せられた時の回想録『キリストはエボリで止まった』(Cristo si e fermato a Eboli, 1945)で知られ、没後の1979年にフランチェスコ・ロージ監督により『エボリ』で映画化された。

現在、バジリカータと呼ばれるルカニア地方は、歴史的に貧苦に喘ぐイタリア南部で最も貧しい後進地域のひとつであった。第二次世界大戦後、地方の小農民たちが経験した苦難の日々をレーヴィが明瞭にして非イデオロギー的、同情的に叙述したことから「南部問題」について全国的議論にまで発展させた。
生い立ち

イタリアのピエモンテ州トリノで、裕福なユダヤ人医師エルコレ・レーヴィとアンネッタ・トレヴェスの間に生まれる。その兄にクラウディオ・トレヴェス(1869 ? 1933、著名なイタリア社会主義の指導者)がいる。

1917年に高校 (Liceo Alfieri)を卒業後、トリノ大学に通い、医学を学ぶ、1924年に優秀な成績で卒業した。大学で学んでいた頃、生涯を通じて政治活動に関与してゆくきっかけを作ってくれたピエロ・ゴベッティ(1901‐26、反ファシズム運動家)と友人になる。トリノ大学を卒業した直後にレーヴィは第14回ヴェネツィア・ビエンナーレ (1924年)で作品の一部を出展した[1]

レーヴィは医学研究を全く放棄したわけでなく、1924年から1928年までトリノ大学の臨床講義室でミケーリ教授の助手を務め、肝疾患や胆道疾患の研究に取り組んでいた。同時期、レーヴィはパリでブールギニョン教授らと一緒に専門分野の研究を続けていたが、レーヴィは1927年に絵を描くことに生涯のすべてを捧げようと決心していた。

レーヴィはパリ滞在初期、画家や医学生としてセルゲイ・プロコフィエフイゴール・ストラヴィンスキーアルベルト・モラヴィアジョルジョ・デ・キリコなどといった20世紀の著名人たちと交流していた。 レーヴィは1932年から1934年まで大半をパリに居住し、1933年には叔父クラウディオ・トレヴェスの葬儀にも出席した[2]
政治活動と流刑Carlo Levi in 1955. Photo by Paolo Monti (Fondo Paolo Monti, BEIC).

1929年にネロとカルロ・ロッセッリ兄弟が正義と自由 (Giustizia e Liberta)と呼ばれる反ファシズム運動団体を結成、両親と一緒にイタリアに移住したロシア系ユダヤ人レオーネ・ギンズブルグ(夫人がナタリア・ギンズブルグ)と共にイタリア支部の指導者に就任 (1932年)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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