カルロ・リッツァーニ
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カルロ・リッツァーニ
Carlo Lizzani
1996年
生誕 (1922-04-03) 1922年4月3日
イタリア王国 ローマ
死没2013年10月5日(2013-10-05)(91歳)
イタリア ローマ
別名リー・W・ビーバー(Lee W. Beaver)
職業.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

映画監督

脚本家

活動期間1948?2013
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カルロ・リッツァーニ(Carlo Lizzani、1922年8月3日 - 2013年10月5日[1][2])は、イタリア映画監督脚本家、批評家。
経歴

第二次世界大戦前のローマに生まれたリッツァーニは、まず脚本家として働きはじめ、いずれも1948年の映画であるロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』やアルベルト・ラットゥアーダ監督の『ポー河の水車小屋』、また、ジュゼッペ・デ・サンティス監督の1949年の映画にがい米』脚本に参加し、『にがい米』は第23回アカデミー賞原案賞にノミネートされた。

複数のドキュメンタリー作品の監督を務めた後、リッツァーニは、1951年の映画で第二次世界大戦を舞台にしたドラマ『Achtung! Banditi!』によりフィーチャー映画の監督としてデビューした。監督デビュー後も『オリーヴの下に平和はない (Non c'e pace tra gli ulivi) の脚本の共作に参加するなど、脚本家としても活動した。

第7回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された1954年の映画『Cronache di poveri amanti』により尊敬を集めた彼は、『ミラノの銀行強盗』(1968年)や『マンハッタン皆殺し作戦』(1974年)、犯罪コメディ『Roma bene』(1971年)で、ジャンル映画、特にクライム映画(犯罪映画)に長けた監督としての定評を得た。『L'oro di Roma』(1961年)では、ローマのユダヤ人たちの最後の国外退去と1943年10月のローマ・ゲットーへの大襲撃 (grande razzia)(英語版)と称されるユダヤ人狩りをめぐる出来事を描いた[3]。1968年の『ミラノの銀行強盗』は、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞監督賞ナストロ・ダルジェント賞の脚本賞を受賞した[4]

1980年代には、イタリアのテレビで頻繁に活動し、また、1979年から1982年までの4回にわたってヴェネツィア国際映画祭の監督を務めた[5]1994年には、第44回ベルリン国際映画祭で審査会の一員を務めた[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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