カルロ・ディ・ドゥラッツォ
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カルロ・ディ・ドゥラッツォ
Carlo di Durazzo
ドゥラッツォ
在位1336年 - 1348年

出生1323年

死去1348年1月23日
アヴェルサ
配偶者アルバ女伯マリア・ディ・カラブリア
子女ルイージ
ジョヴァンナ
アニェーゼ
クレメンティーナ
マルゲリータ
家名アンジュー=ドゥラッツォ家
父親ジョヴァンニ・ディ・ドゥラッツォ
母親アニェス・ド・ペリゴール
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ドゥラッツォ公カルロの紋章

カルロ・ディ・ドゥラッツォ(Carlo di Durazzo, 1323年 - 1348年1月23日)は、ナポリ王国の貴族。アンジュー=シチリア家ジョヴァンニ・ディ・ドゥラッツォとアニェス・ド・ペリゴールとの間の息子。ドゥラッツォ公。
生涯

カルロは1336年に父の跡を継ぎ、ドゥラッツォ公となった。

1343年4月21日、アルバ女伯マリア・ディ・カラブリアと結婚した。マリアはカラブリア公カルロの娘でナポリ女王ジョヴァンナ1世の妹に当たり、当初はハンガリーラヨシュ1世もしくはフランスジャン2世の妃となる予定であった。しかしカルロをナポリ王位継承に近づけるため、マリアはカルロと母アニェスにより誘拐され、カルロと結婚させられた。

カルロはジョヴァンナ1世の夫アンドレアの暗殺の謀略からは一線を画し、ジョヴァンナおよびその2度目の夫ターラント公ルイージとは対立した。カルロは支援を求め、ハンガリー宮廷と接触した[1]。カルロは自身の目的のため、ラヨシュ1世の侵攻とジョヴァンナの逃亡を期待していたが、カルロは捕まえられアヴェルサでハンガリー人により斬首された。

アレクサンドル・デュマ・ペールは恋愛小説『ナポリのジャンヌ』(Jeanne de Naples)においてカルロをアンドレア暗殺の陰謀の首謀者とし、ハンガリー王によって死に至ったとしている。
子女

マリアとの間に5人の子女がいる。

ルイージ(1343年12月 - 1344年1月14日)

ジョヴァンナ(1344年 - 1387年) - ドゥラッツォ女公、1366年にボーモン=ル=ロジェ伯
ルイ・ド・ナヴァールと結婚、次にウー伯ロベール4世と結婚

アニェーゼ(1345年 - 1388年) - 1363年6月6日にヴェローナの支配者カンシニョーリオ・デッラ・スカラと結婚、1382年にターラント公およびラテン皇帝ジャック・デ・ボーと結婚

クレメンティーナ(1346年 - 1363年)

マルゲリータ(1347年 - 1412年) - 1368年に後にナポリ王となるグラヴィーナ伯カルロ・ディ・ドゥラッツォと結婚

マリアは後にターラント公フィリッポ2世と再婚した。
脚注^ Goldstone, p. 168

参考文献

Goldstone, Nancy Joanna, The Notorious Queen of Naples, Jerusalem and Sicily. Weidenfeld & Nicolson, 2010.

関連項目

ドゥラス

先代
ジョヴァンニドゥラッツォ公
1336年 - 1348年次代
ジョヴァンナ


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