カルロス・チェカ
2008年 ミラー・モータースポーツパークにて
国籍 スペイン
生年月日 (1972-10-15) 1972年10月15日(51歳)
バルセロナ
ウェブサイト ⇒carloscheca.com
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間1995年?2007年, 2010年
マニファクチャラーホンダ, ドゥカティ, ヤマハ
2010年 順位21位 (1 pt)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
194224351485
ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間1993年?1995年
マニファクチャラーホンダ
1995年 順位13位 (45 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
270000108
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間1993年
マニファクチャラーホンダ
1993年 順位27位 (9 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
100009
スーパーバイク世界選手権
活動期間2008年?2013年
マニファクチャラーホンダ, ドゥカティ
チャンピオン1 (2011年)
2013年 順位15位 (80 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
150244910301691.5
カルロス・チェカ・イ・カルレーラ(Carlos "Charlie" Checa i Carrera, 1972年10月15日 - )は、スペイン・バルセロナ出身の元オートバイレーサー。ロードレース世界選手権最高峰の500cc・MotoGPクラスで10年以上活動した後、2008年よりスーパーバイク世界選手権に戦いの場を移している。グランプリでは通算2勝を記録[1]。2011年スーパーバイク世界選手権チャンピオン。弟のダビド・チェカもオートバイレーサーである。 世界グランプリには1993年第8戦ヨーロッパGP、125ccクラスにデビューを果たし、次戦からは250ccクラスに移る。1995年第9戦イギリスGPからは、前戦ル・マンで両足骨折の重傷を負ったアルベルト・プーチの代役として、シト・ポンスのチームからホンダ・NSR500を駆って最高峰クラスデビューを果たした。 翌1996年には、地元カタルニアでGP初優勝を果たした。ホンダ・ポンスチームには1998年まで在籍したが、その1998年の第8戦、ドニントン、チェカはクラナー・カーブで転倒・負傷したが、当初は単なる擦り傷・打撲傷と見られていた。ところがやがて痛みを訴えだし、数時間後には視力を失い、重篤な状態に陥った。だがその後は無事回復し、第10戦チェコGPから実戦に復帰した。 1999年からは、この年から新たに結成されたワークスのマルボロ・ヤマハチームに移籍し、マックス・ビアッジのチームメイトを務めることになった。トップを快走しながらもクラッシュによりリタイヤという展開のレースが多く、移籍後は勝利は挙げられないままだった。例えば2002年の第12戦リオGPではスタートで失速しながらも挽回してトップに立ったが、その後のコーナーで転倒を喫してしまった。 ヤマハワークスには2004年まで在籍し、最後の年にはホンダから移籍してきたチャンピオンライダー、バレンティーノ・ロッシのチームメイトを務めた。2005年はドゥカティ・ワークスチームに移籍、さらに2006年にはヤマハのサテライト・チームのテック3に移籍した。安定した走りで完走を続け、チームメイトのジェームス・エリソンよりは明らかに速さで上回っていたが、ダンロップタイヤのパフォーマンスが低く、シリーズランキングは下位に沈んでしまった。 2007年にはホンダサテライトのチーム・LCRに移籍したが、他のホンダライダーと共に新しい800ccマシンのパフォーマンス不足に苦しんだ。結局このシーズンをもってチェカはMotoGPから一旦退くことになった[2]。またこの年は鈴鹿8時間耐久ロードレースに岡田忠之と組んでHRCチームからCBR1000RRWを駆って初出場、2位表彰台を獲得した。
経歴
ロードレース世界選手権 ( 1993 - 2007 )
スーパーバイク世界選手権 ( 2008 - )