カルロス・サインツJr.
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カルロス・サインツJr.
Carlos Sainz Jr.
カルロス・サインツJr.
(2022年)
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1994-09-01) 1994年9月1日(29歳)
カルロス・サインツ・バスケス・デ・カストロ
Carlos Sainz Vazquez de Castro
出身地 スペイン
マドリード
親族カルロス・サインツ(父)

基本情報
略称表記SAI
F1での経歴
活動時期2015-
過去の所属チーム'15-'17 トロ・ロッソ
'17-'18 ルノー
'19-'20 マクラーレン
所属チーム'21-'24 フェラーリ
車番55
出走回数193 (190スタート)
タイトル0
優勝回数3
表彰台(3位以内)回数22
通算獲得ポイント1,090.5
ポールポジション5
ファステストラップ3
初戦2015年オーストラリアGP
初勝利2022年イギリスGP
2023年順位7位 (200ポイント)
(記録は2024年第8戦モナコGP終了時)
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署名

カルロス・サインツ・バスケス・デ・カストロ(Carlos Sainz Vazquez de Castro, 1994年9月1日 - )は、スペインマドリード出身のレーシングドライバー。通称「カルロス・サインツJr.」。

父親は世界ラリー選手権(WRC)で1990年1992年トヨタで2度ドライバーズタイトルを獲得し、ダカール・ラリーでは3メーカーで総合優勝を果たしたカルロス・サインツ

F1においては、本人の意向により「Jr.」を外し、父と同じ「カルロス・サインツ」で登録している。[1]
経歴
初期の経歴

レーシングカートでレースキャリアを開始する。2008年にKF3クラスのアジア・パシフィック・チャンピオンシップのタイトルを獲得。2009年にはジュニア・モナコ・カート・カップで優勝する。

2010年から4輪に転向。レッドブルのサポートを受け、主にフォーミュラ・BMW・ヨーロッパ選手権に参戦。デビューシーズンながら1勝を挙げシリーズ4位となる。フォーミュラ・BMW・パシフィック選手権にも参戦し、こちらでは2勝を挙げる。シリーズ後半にはユーロカップ・フォーミュラ・ルノー、ヨーロッパF3オープン、及びイギリス・フォーミュラ・ルノー・ウィンター・シリーズにも参戦し経験を積んだ。2010年フォーミュラ・BMW・パシフィック セパンサーキット第1レースにて

2011年はフォーミュラ・ルノー・ノーザン・ヨーロピアン・カップとユーロカップ・フォーミュラ・ルノーにフル参戦。ノーザン・ヨーロピアン・カップではダニール・クビアトストフェル・バンドーンを下し、4輪で初のチャンピオンを獲得する。ユーロカップではロビン・フラインスについで2位となった。

2012年はヨーロッパF3ユーロF3(10戦中8戦がヨーロッパF3選手権でもある)に全戦、イギリスF3は日程がバッティングした1戦を除き全てに参戦した。イギリスF3では5勝を上げるものの、どのシリーズでもチャンピオンシップ争いには絡むことは出来なかった。

2013年はGP3へのフル参戦とフォーミュラ・ルノー3.5の約半数となる5ラウンドに参戦。前年と同じく複数のカテゴリーを並行して参戦した。たが、GP3のほうは1勝を挙げたものの、フォーミュラ・ルノーのほうは未勝利となり、前年より表彰台に上がった回数だけみても大幅に減り、成績面では低迷した。同じレッドブルの育成選手であり4輪デビュー同期であるダニール・クビアトがチャンピオンを獲得し、翌年からトロ・ロッソでのF1デビューを勝ち取り、先を越されてしまう[2]

2014年はフォーミュラ・ルノー3.5へのフル参戦のみとなり、4輪のキャリアで初めて一つのシリーズのみに参戦することになった。DAMSに移籍し7勝をあげシリーズチャンピオンを獲得する。レッドブルの育成ドライバーとしては初のフォーミュラ・ルノー3.5でのチャンピオンとなった。
F1

2014年前半はフォーミュラ・ルノー3.5でシリーズをリードする活躍を見せたため、順調にいけば2015年はF1へステップアップするのが既定路線と思われていた。しかし、8月になるとレッドブルは育成ドライバーとしてマックス・フェルスタッペンと契約し[3]、直ぐにジャン=エリック・ベルニュに替わり2015年のトロ・ロッソでのF1デビューを発表する[4]。これによりトロ・ロッソのシートは埋まり、サインツJr.のF1デビューは難しくなった。

そんななか、10月に突如セバスチャン・ベッテルがレッドブルからの離脱を発表。そしてレッドブルは後任にトロ・ロッソのクビアトの昇格を発表する[5]。これによりクビアトのシートにサインツJr.が収まるかと思われたが、ドライバーが2人ともルーキーとなることを懸念し、再度ベルニュが候補に浮上する[6]。その後も交渉は行われ、最終的にはサインツJr.が2015年のトロ・ロッソのシートを射止めることになった[7]。また、前述の通りF1でのエントリー名は「カルロス・サインツ」とした。
スクーデリア・トロ・ロッソ
2015年

開幕戦オーストラリアGPでは終盤まで上位を走行していたが、ピットでタイヤ交換に手間取ったため順位を落とし9位でフィニッシュとなったものの、F1デビュー戦にてキャリア初入賞を記録した[8]。その後もドライバーの技量とは関係のないトラブルが相次ぎ[9][10]、決勝成績に関してはフェルスタッペンの後塵を拝することとなった。それでも粘り強い走りを披露し[11]、アメリカGPでは最後尾スタートからの7位入賞(6位でチェッカーを受けたのだが、レース後にピットレーンでのスピード違反によるタイムペナルティとして5秒加算されて7位に降格)というシーズン最高位[12]を記録した。フェルスタッペンに対し、ポイントでは敗れたが、予選結果では10勝9敗と勝ち越している。
2016年

引き続きフェルスタッペンとのコンビでレースを戦うが、第5戦スペインGPからフェルスタッペンとクビアトがトレードとなり、以降はクビアトがチームメイトとなった。1年落ちのフェラーリのパワーユニットで戦う事となり苦戦が予想されたが、序盤はシャシー性能の高さか、なかなか好調なシーズンを送る。しかし、他チームのパワーユニットのアップグレードがある分、後半は入賞圏内に入れず、苦戦を強いられた。しかし、移籍してきたクビアトと比べて安定したシーズンを送っており、他チームから注目されるようになったが、この頃は自ら移籍する意思はあまり見せておらず、どちらかと言えば、レッドブル傘下に留まる意向が強く、現にシーズン中の早い段階で来シーズンの残留を決めている。
2017年

トロ・ロッソ3年目。引き続きクビアトがチームメイト。

今期も安定したパフォーマンスを見せ、クビアトを大きく上回るポイントを獲得。シンガポールGP直前に来期はルノーへ移籍することが発表されたが、日本GP後にジョリオン・パーマーがルノーを離脱したことにより、アメリカGPより電撃移籍が決定した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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