カルロス・ゴーン
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カルロス・ゴーン
Carlos Ghosn
厚生労働省より公表された肖像
生誕 (1954-03-09) 1954年3月9日(70歳)
ブラジル ポルト・ヴェーリョ
住居 レバノン
国籍 ブラジル
フランス
レバノン
別名コストキラー、ミスター調整
民族レバノン人
出身校コレージュ・ドゥ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブール
エコール・ポリテクニーク(1974年卒業)
パリ国立高等鉱業学校(1978年卒業)
著名な実績日産自動車会長
三菱自動車工業会長
ルノー取締役会長兼CEO (PDG)
活動拠点 レバノン
給料10億9800万円(2016年度)[1]
(過少申告の疑いで捜査中)
宗教キリスト教マロン派
罪名金融商品取引法違反
特別背任罪
刑罰未定
犯罪者現況国際手配中
配偶者リタ(1984年 - 2010年
キャロル・ナハス(2016年 - )
子供キャロライン・ゴーン(英語版)
他2人
親ジョルジ・ゴーン(父)
親戚ビシャラ・ゴーン(祖父)
受賞ベスト・ファーザー イエローリボン賞(経済部門、2001年)
栄誉レジョンドヌール勲章(シュヴァリエ)
藍綬褒章
大英帝国勲章(ナイト・コマンダー)
日本自動車殿堂殿堂者
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カルロス・ゴーン・ビシャラ(フランス語: Carlos Ghosn Bichara[2]アラビア語: ?????? ??? ?????‎、1954年昭和29年3月9日 - )はブラジル出身の実業家

2004年に藍綬褒章を受章[3][4]ルノー日産自動車三菱自動車工業株式相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産・三菱アライアンス」の社長最高経営責任者(CEO)を務めていた。金融商品取引法違反および特別背任の疑いで起訴されたのち、保釈中に国外逃亡し、現在公判停止中。
来歴
出身と教育

1954年3月9日、ポルト・ヴェーリョ生まれ[5]

祖父ビシャラ・ゴーン(Bichara Ghosn)は、レバノンで生まれ13歳でブラジルへ移住し[6][7]、ブラジル北部、ブラジルとボリビア国境近くのロンドニア州の奥地 Sao Miguel do Guapore サン・ミゲウ・ド・グアポレ でゴム産業に参入[8]。最終的には農産物を売買する会社のオーナーとなった[8]

レバノン系ブラジル人である父、ジョルジ・ゴーン(Jorge Ghosn)はロンドニア州の州都ポルト・ヴェーリョに居を構え、同じくナイジェリア生まれのレバノン人の女性と結婚[9][10][11][7]。一部報道によれば、ジョルジ・ゴーンは神父を殺害した犯人のひとりとして1961年に死刑判決を受けたが、後に禁固15年に減刑され1970年に出所したものの、間もなく偽札製造の罪で逮捕され、禁固3年(別の報道では禁固15年)の刑に処された。その後、1975年に勃発したレバノン内戦の混乱に乗じてレバノンからブラジルへ移住したものと報じられている[12][13]

2歳頃に不衛生な水を摂取したことで病気となり、母親とともにリオ・デ・ジャネイロに移転[14]。カルロスが6歳の時[15]、彼の3人の姉妹と母とともに[14]、祖父の母国であるレバノン・ベイルートに転居し[16]、ベイルートのコレージュ・ノートル・ダム・ド・ジャンブール(College Notre Dame de Jamhour)で中等教育を受ける[17]

18歳でパリのリセ・スタニスラスグランゼコール準備級(プレパ)に進学し、リセ・サン=ルイにも学ぶ[18]。その後、理工系トップのエコール・ポリテクニーク(1974年期)に入学し、1977年にはパリ国立高等鉱業学校(エコール・デ・ミンヌ)より技師免状を取得する[19][20]
実業家として2017年2月21日内閣総理大臣官邸にて内閣総理大臣安倍晋三(左から4人目)ら第3次安倍第2次改造内閣の閣僚と会談

パリ国立高等鉱業学校卒業後、1978年、ミシュラン入社[19][21]フランス国内で工場長、産業用タイヤ部門研究開発責任者を経て[19][22]、1985年に30歳の時に3億ドルの市場を持つ南米ミシュランの最高執行責任者(COO)に任命された[19][23]

生地ブラジルに戻ったゴーンは、彼に操業の立て直しを命じたフランソワ・ミシュラン(フランス語版)に、ブラジルのハイパーインフレ[24]下における事業の不採算性と困難について直訴している[23]。その中で、南米事業部におけるフランス、ブラジル、その他多国籍の従業員の間での最良な業務形態を模索し、クロスファンクショナルマネージメントチームを結成[25][26]。このブラジルでの多文化体制下での経験は、後にゴーンの経営理念の核となるクロス・カルチャーな経営スタイルと強さの基盤を形成した[27]。「人は多様性から学び、そして共通性に安らぎを感じる。」とゴーンは語っている[28]

1989年、南米事業部を黒字転換させた後[25]、ミシュランの北米事業部の社長兼(COO)に選ばれ[29]、家族を伴い米国サウスカロライナ州グリーンビルへと移転[29]。1990年にミシュランの北米の最高経営責任者(CEO)に昇格する[19][29]。1996年に、ルノーの上席副社長にヘッドハンティングされ[30]、再びフランスへと居を移したが、1999年にルノーと日産の資本提携が行われた後[31][32]、ルノーでの役職も維持しながら日産の最高執行責任者(COO)に就任[20][33]。家族とともに日本に移住した[34]

米フォーブス誌には「過酷な競合が繰り広げられる世界の自動車業界において最も多忙な男」と呼ばれ[25]、日本のメディアからは「セブンイレブン(早朝から深夜まで非常にハードに働く)」と称され[35][36]、パリと東京の両拠点での職務に自らの時間を分割するゴーンの航空移動距離は、一年で約15万マイルにのぼる[25]

マルチリンガルで、アラビア語フランス語英語スペイン語ポルトガル語の5言語を流暢に話す[30]。さらに日本語も学んでおり、日産自動車社内で自らの肉声で語る際には、あえて日本語での演説を行うようにしているという[37]。ブラジルとフランス両国の市民権を有し[38]、また少年期10年の間居住し、初中等教育を修了したレバノンとの強い繋がりも維持している。レバノン北部海岸沿いの街 Batrounにある環境に配慮したワイン農場で、ワインの輸出も行う「IXSIR」に出資している[39]

2018年11月、金融商品取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、日産、三菱の会長職を解任される。2019年1月、特別背任罪で追起訴された。

2019年1月、ルノーの会長職を辞職。

2019年4月、日産自動車の取締役を解任される。

2019年12月、関西国際空港から音響機材搬送用の箱に隠れて自分のビジネスジェットで密出国、レバノンへ逃亡する。レバノンではベイルートの高級住宅に入居したが、この物件の居住権については所有権を主張する投資会社との間で裁判となった。2023年、レバノンの裁判所は投資会社側の主張を認め、カルロス・ゴーンと妻に対して1か月以内の退去を命じた[40]

2020年1月のロイター通信により、同時点ではレバノン国内の金融危機の影響で1週間当たり数百ドル前後しか現金を手に入れられない可能性があると報じられた[41]
人物2009年11月8日世界経済フォーラムインド経済サミットにて

両親はレバノン人で、ブラジルで誕生。幼少期をブラジルで過ごし、中等教育は父の母国であるレバノンベイルートで受けた。


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