カルロス・ゴーン
Carlos Ghosn
厚生労働省より公表された肖像
生誕 (1954-03-09) 1954年3月9日(70歳)
ブラジル ポルト・ヴェーリョ
住居 レバノン
国籍 ブラジル
フランス
レバノン
別名コストキラー、ミスター調整
民族レバノン人
出身校コレージュ・ドゥ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブール
カルロス・ゴーン・ビシャラ(フランス語: Carlos Ghosn Bichara[2]、アラビア語: ?????? ??? ?????、1954年(昭和29年)3月9日 - )はブラジル出身の実業家。
2004年に藍綬褒章を受章[3][4]。ルノー、日産自動車、三菱自動車工業の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産・三菱アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)を務めていた。金融商品取引法違反および特別背任の疑いで起訴されたのち、保釈中に国外逃亡し、現在公判停止中。 祖父ビシャラ・ゴーン(Bichara Ghosn)は、レバノンで生まれ13歳でブラジルへ移住し[6][7]、ブラジル北部、ブラジルとボリビア国境近くのロンドニア州の奥地 Sao Miguel do Guapore サン・ミゲウ・ド・グアポレ でゴム産業に参入[8]。最終的には農産物を売買する会社のオーナーとなった[8]。 レバノン系ブラジル人である父、ジョルジ・ゴーン(Jorge Ghosn)はロンドニア州の州都ポルト・ヴェーリョに居を構え、同じくナイジェリア生まれのレバノン人の女性と結婚[9][10][11][7]。一部報道によれば、ジョルジ・ゴーンは神父を殺害した犯人のひとりとして1961年に死刑判決を受けたが、後に禁固15年に減刑され1970年に出所したものの、間もなく偽札製造の罪で逮捕され、禁固3年(別の報道では禁固15年)の刑に処された。その後、1975年に勃発したレバノン内戦の混乱に乗じてレバノンからブラジルへ移住したものと報じられている[12][13]。 2歳頃に不衛生な水を摂取したことで病気となり、母親とともにリオ・デ・ジャネイロに移転[14]。
来歴
出身と教育