カルロス・ゴンザレス_(野球)
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カルロス・ゴンザレス
Carlos Gonzalez
コロラド・ロッキーズでの現役時代
(2016年7月11日)
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地スリア州マラカイボ
生年月日 (1985-10-17) 1985年10月17日(38歳)
身長
体重6' 1" =約185.4 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手
プロ入り2002年 アマチュアFA
初出場2008年5月30日
最終出場2019年6月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


オークランド・アスレチックス (2008)

コロラド・ロッキーズ (2009 - 2018)

クリーブランド・インディアンス (2019)

シカゴ・カブス (2019)

国際大会
代表チーム ベネズエラ
WBC2013年2017年
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カルロス・エドゥアルド・ゴンザレス(Carlos Eduardo Gonzalez, 1985年10月17日 - )は、ベネズエラスリア州マラカイボ出身の元プロ野球選手外野手)。左投左打。愛称は名前を短縮したカーゴ(CarGo)[1]
経歴
プロ入りとダイヤモンドバックス傘下時代

2002年8月3日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約し、プロ入りを果たした。

2003年にプロデビューを果たした。

2005年はA級サウスベンド・シルバーホークス(英語版)で打率.307、18本塁打、92打点を記録し、ミッドウェストリーグ最優秀選手に選出された[2]

2006年2007年には2年連続でオールスター・フューチャーズゲームに選出された。
アスレチックス時代

2007年12月14日にダン・ヘイレン、コナー・ロバートソン(英語版)とのトレードで、アーロン・カニンガムクリス・カーターデイナ・イブランド、グレッグ・スミス(英語版)と共にオークランド・アスレチックスへ移籍した。オークランド・アスレチックス時代
(2008年7月10日)

2008年は開幕をAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎えた。5月30日にメジャー昇格を果たし[3]、同日メジャーデビュー。デビュー戦では2二塁打を記録し、メジャー初安打から7安打連続で長打を記録。この連続長打記録は、メジャー史上1936年ジョニー・マイズ以来となった[4]。メジャーでは85試合の出場で、打率.242、4本塁打、26打点の成績で終え、マイナーではパシフィックコーストリーグのポストシーズン最優秀選手に選出された[5]
ロッキーズ時代

2008年11月12日にマット・ホリデイとのトレードで、ヒューストン・ストリート、グレッグ・スミスらと共にコロラド・ロッキーズへ移籍した[5]

2009年6月5日にAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスからメジャーへ昇格。昇格時点で打率.339、10本塁打、59打点を記録し、打点はマイナーリーグ最高だった[6]。メジャーでは打率が2割前後で推移し、前半戦終了時に当時のGMのダン・オダウド(英語版)は当時の監督のジム・トレーシーにゴンザレスをマイナー降格させる意向であることを伝えたが、トレーシーはゴンザレスをメジャーで起用し続けた[7]。そして、後半戦は打率.320、12本塁打、24打点を記録した[8]

2010年は、年間通じてメジャーリーグでプレー。本拠地で打率.380[9]、7月31日の試合ではサイクル安打を記録するなど好調を維持。最終的に打率.336・34本塁打・117打点・26盗塁という打撃成績を記録し、自身初の首位打者のタイトルを獲得した。また、本塁打はリーグ4位、打点はリーグ2位であり、セントルイス・カージナルスアルバート・プホルス(打率リーグ6位・本塁打リーグ1位・打点リーグ1位)、シンシナティ・レッズジョーイ・ボット(打率リーグ2位・本塁打リーグ3位・打点リーグ3位)と共にシーズン終盤まで三冠王争いを繰り広げた。また、シーズンMVP投票では3位にランクインし、選手間で選ぶプレイヤーズ・チョイスでは、2010年度のMVPに選出された[9]。ま自身初となる「3割、30本塁打、100打点」を達成し、ゴールドグラブ賞シルバースラッガー賞を同時に受賞した。

2011年、前年に引き続き外野3ポジションをまんべんなく守り、127試合に出場。前年に記録した打率.300、30本塁打、100打点のラインには届かなかったものの、打率.295・26本塁打・92打点・OPS0.889・20盗塁という好成績を記録。2年連続で、「20本塁打・20盗塁」の同時達成をクリアした。守備面では左翼手で61試合、右翼手で34試合、中堅手で30試合に守りに就いた。全ポジションでDRSは平均以上 (+) を記録した。

2012年はそれまでのシーズンとは異なり左翼に定着した。自身初となるオールスターゲームに選出された。最終的に135試合に出場し、2年ぶりの3割超えとなる打率.303、22本塁打、85打点・OPS0.881・20盗塁という成績を残した。「20本塁打・20盗塁」を3年連続で同時達成した。守備面では、2010年以来2年ぶりのゴールドグラブ賞を受賞したが、数字は守備率.982(4失策)、DRS-13と芳しくない内容だった。

2013年はシーズン開幕前の3月に開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ベネズエラ代表に選出された[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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