カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はカルヴァリョ、第二姓(父方の姓)はドス・アンジョスです。

ジュニーニョ

名前
本名カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル
Carlos Alberto Carvalho Dos Anjos Junior
愛称ジュニーニョ、ジュニ
ラテン文字JUNINHO
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1977-09-15) 1977年9月15日(46歳)
出身地サルヴァドール
身長174cm
体重67kg
選手情報
ポジションFW
利き足右足

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1996-1998 バイーア
1999 ヴィラ・ノヴァ
2000 ウニオン・サンジョアン
2000-2002 パルメイラス 55 (6)
2003-2011 川崎フロンターレ 285 (175)
2012-2013 鹿島アントラーズ 57 (6)
代表歴
1996 ブラジル U-204 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
ジュニーニョ(Juninho)こと、カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル

ジュニーニョ(Juninho)こと、カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル(Carlos Alberto Carvalho Dos Anjos Junior、1977年9月15日 - )は、ブラジル出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード/攻撃的MF
経歴

ブラジル・バイーア州サルヴァドール生まれ。彼の父と12歳年上の長兄もプロサッカー経験者であり、特に長兄のゼ・カルロスブラジル代表にも選出された[1]

幼い頃よりECバイーアの下部組織で育ち、ジュニオール所属だった1995年にトップチーム監督のオタシリオに抜擢されてプロとしてのキャリアをスタートさせる[2]。攻撃的MFとして試合に出場するようになった2年目の1996年にはU-20ブラジル代表に招集された[2]。2000年にパルメイラスへと移籍。FCバルセロナから獲得を打診されたが、チームもジュニーニョも不調に陥った2002年はバルセロナへの移籍話も立ち消え[1]、パルメイラスはその歴史上初めて全国選手権2部降格が決まった。

2003年は日本のJ2川崎フロンターレ期限付き移籍。川崎はこの前年にCRフラメンゴサンドロ・ヒロシの獲得に動いていたが、視察した試合で対戦相手にいたジュニーニョにオファーの対象を変えた[1]。初年度の2003年は28得点を挙げ、J2得点ランク2位。

2004年[3] には川崎へ完全移籍し37得点を挙げJ2得点王に輝き、川崎フロンターレはJ1昇格した。シーズンオフには、スペインのレアル・ベティスからのオファーもあったが残留した。

2007年には31試合で22得点を挙げ、J1では初となる得点王に輝いた。J1・J2双方での得点王獲得はエメルソン以来2人目。

2008年3月、日本の生活環境の良さや子供たちへの教育を挙げ、日本へ帰化の意思があると報じられ、本人もこれを認めたが[1][4]、日本語での会話が流暢でないことやブラジル代表で親善試合に4試合出場していたことが理由となり、日本への帰化を断念した[5]。2011年限りで川崎との契約を満了[6]。2012年、鹿島アントラーズに移籍した。2013年シーズンをもって契約満了となり退団が決定した。2014年末、Jリーグ功労選手賞を受賞[7]
個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦
リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
ブラジルリーグ戦 ブラジル杯オープン杯期間通算
1996バイーア162
1997192
1998
1999ヴィラ・ノヴァ
2000ウニオン
2000パルメイラス213
2001170
2002173
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2003川崎10J23928-003928
20043937-224139
2005J1311664123822
20062920106224128
2007312254424028
2008321264204016
2009331753113921


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