カルラス・プッチダモン
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はプッチダモン、第二姓(母方の)はカザマジョーです。

スペイン政治家カルラス・プッチダモンCarles Puigdemont i Casamajo

生年月日 (1962-12-29) 1962年12月29日(61歳)
出生地 スペインジローナ県アメール(英語版)
前職ジャーナリスト
所属政党

カタルーニャ民主集中(CDC) (2016年7月まで)
→カタルーニャ・ヨーロッパ民主党(英語版)(PDeCAT)(2016年7月から)
→共和国に対する国民的呼びかけ(英語版)(CNxR)
→ジュンツ・パル・カタルーニャ(英語版)(Junts)
配偶者マルセラ・トポル(英語版)
宗教ローマ・カトリック
カタルーニャ州議会議員
在任期間2006年11月10日 - 2017年10月28日
ジローナ市議会議員
在任期間2007年6月16日 - 2016年1月10日
ジローナ市長
在任期間2011年7月1日 - 2016年1月10日
独立のための自治体協会会長
在任期間2015年7月17日 -
カタルーニャ州首相
在任期間2016年1月10日 - 2017年10月28日(スペイン中央政府による更迭)
スペイン国王フェリペ6世
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この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。

プッチダモン[1][2][3][4]

プチデモン[5][6][7][8][9]

カルラス・プッチダモン・イ・カザマジョー(カタルーニャ語: Carles Puigdemont i Casamajo, カタルーニャ語発音: [?kar??s pud?d??mon i kaz?m???o] ( 音声ファイル), 1962年12月29日 - )は、スペインジローナ県出身の政治家ジャーナリストカタルーニャ民主集中(CDC)を経てカタルーニャ・ヨーロッパ民主党(PDeCAT)所属[10]

2006年からカタルーニャ州議会議員を務めており、2007年から2016年までジローナ県の県都であるジローナ市議会議員を、2011年から2016年までジローナ市長を[11]、2016年から2017年までカタルーニャ州首相(英語版)を務めた[12][13]。日本での報道ではプチデモンという表記も用いられる[14]
経歴
ジャーナリスト

1962年12月29日、ジローナ県アメール(英語版)に生まれ[10]。アメールの初等学校・中等学校に通った。16歳の時にはサッカーをプレーする傍ら、すでにジローナ県の地元紙であるロス・シティオス(スペイン語版)紙などに投書を行っていた[15]。1979年にFCバルセロナUEFAカップウィナーズカップ 1978-79を制した試合を目の当たりにし、その時の体験からカタルーニャのために働こうと決意したという[16]ジローナ大学でカタルーニャ語学を学んだが、ジャーナリスト活動に専念するために大学を卒業しなかった[15]

1981年にはアル・プン紙(アブイ紙と合併したため現在はアル・プン・アブイ紙)で働きはじめ、プラセンシア誌でも働いた[10]。1992年のバルセロナオリンピック期間中にはガルソン作戦(スペイン語版)で傑出した働きを見せた[10]。カタルーニャ・ジャーナリスト協会のメンバーであり、『Cata… que? Catalunya vista per la premsa internacional』(外国メディアが見たカタルーニャ、1994年)[10]やコミュニケーションや新技術に関する随筆など、何冊かの著作がある。

1990年代にはヨーロッパをめぐり、新情報技術を適用させる仕事を開始した。カタルーニャ州政府に委託され、1999年にはアジェンシア・カタラナ・デ・ノティシエス(ACN)社を設立し[11]。2002年までこの機関を率いた。2002年からジローナ県議会のカルラス・パラモ議長によってカザ・ダ・クルトゥラ・ダ・ジローナ(ジローナ文化の家)の責任者に推されて2004年まで責任者を務めた。2004年にはカタロニア・トゥデイ(英語版)紙(英語紙)の最高経営責任者(CEO)としてジャーナリズムの世界に戻った[10]。2006年にはジャーナリズムの世界を離れ、カタルーニャ州議会議員としての政治界の活動に専念するようになった[11]
政治家2015年のプッチダモン

1975年にフランコ体制が終わって民主化の時代を迎えると、1980年には「カタルーニャの独立」を目標に政治活動に参画し始め、この年には初めて行われたカタルーニャ民主集中(CDC)のジョルディ・プジョルのミーティングに出席した[11]。その後にはカタルーニャ民族主義青年団(スペイン語版)ジローナ県支部の創設メンバーとなっている[10]

2006年にはCDCを内包する政党連合集中と統一(CiU)の一員として、ジローナ県選挙区からカタルーニャ州議会選挙に出馬して当選し、カタルーニャ州議会議員となった[17]


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