カルミナ・ブラーナ(ラテン語: Carmina Burana)は、19世紀初めにドイツ南部、バイエルン選帝侯領にあるベネディクト会のベネディクトボイエルン修道院(英語版、ドイツ語版)で発見された詩歌集。
カール・オルフがこれに基づいて作曲した同名の世俗カンタータがあり、様々な映像作品などで利用されるなど、一般においてはこの曲によって名が知られている。
詩歌集ブラヌス写本 (カルミナ・ブラーナ)ベネディクトボイエルン修道院(英語版、ドイツ語版)
1803年、ベネディクトボイエルン修道院がバイエルン選帝侯領に帰属(世俗化)したのに伴い、同図書館の蔵書がミュンヘン宮廷図書館に委譲されることになり、調査が行われた。その結果、112枚の羊皮紙に古い歌が多数記された写本が発見された。
その中の歌(少数の宗教劇を含む)は約300編にのぼり、ほとんどがラテン語、一部が中高ドイツ語あるいは古フランス語で書かれていた。歌詞のテーマは、I) 時代と風俗に対する嘆きと批判、II) 愛と自然、愛の喜びと苦しみ、III) 宴会、遊戯、放浪生活、IV) 宗教劇である。
写本成立の場所として、かつては修道院写本制作工房(das Scriptorium eines Klosters)や遍歴歌人の周辺(der Umkreis fahrender Sanger)が考えられたが、聖界諸侯の宮廷(geistlicher Hof)、中でもオーストリア・シュタイアーマルクのゼッカウ(Seckau)司教の宮廷が有力視されている。
約四分の一の作品にネウマによって簡単な旋律が付けられている(『賭事士たちのミサ曲』等)。古い時代のネウマ譜には、譜線のない旋律の不明な単なる音楽家の覚書のようなものも含まれる。写本は13世紀前半に書かれたと推測されているが、シュメラー(J.A.Schmeller)によって編纂され、『カルミナ・ブラーナ』(ボイエルンの歌)という題名で1847年に出版された。
現在、写本はミュンヘンのバイエルン州立図書館に所蔵されている。蔵書番号clm 4660[1]。
ヤーコプ・ブルクハルトは『イタリア・ルネサンスの文化』において、『カルミナ・ブラーナ』中の最良の作品について、「現世とその享楽の自由な喜び、それを守護するものとして異教の神々がふたたび現れるその喜びが、押韻された詩節を通じて、絢爛たる流れとなってそそぎだされる」と称賛し、それの作者たる詩人について、「それを一気に読む者は、これを歌っているのはイタリア人、いやおそらくロンバルディア人であろうという推測を、ほとんどしりぞけることができないであろう」と述べている[2]。一方、『中世事典』(1983年)には、写本全体315テクストの後半すなわちCB 135以後のほとんどの詩歌、宗教劇および補遺はドイツ語圏成立が確かであるが、写本全体の前半、CB 134までの部分は西ヨーロッパ由来が多く、大部分がフランス由来と記されている[3]。
なお、ネウマ譜が残っている歌については別の写本などからネウマを復元する試みがなされており、レネー・クレメンチッチ(1974年、2009年)、フィリップ・ピケット(1996年)らがアルバムを発表している。 カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」は、舞台形式によるカンタータであり、『楽器群と魔術的な場面を伴って歌われる、独唱と合唱の為の世俗的歌曲 (Cantiones profana cantoribus et choris cantanda comitantibus instrumentis atque imaginibus magicis[4], 英訳例:Secular songs for singers and choruses to be sung together with instruments and magic images)』という副題が付いている。
日本語訳
『全訳 カルミナ・ブラーナ ベネディクトボイエルン歌集』 永野藤夫訳、筑摩書房、1990年
カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」